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哲学者でありながら、村での「半定住」生活を続けられているというのはユニークですね。内山 私が群馬県の上野村にもうひとつの拠点をもつようになったのは七〇年代の前半あたりからで、以来東京と上野村を行ったり来たりする生活を送っています。今は一年のうち、東京と村とその他の場所とでそれぞれ三分の一ずつくらいでしょうか。そうした生活を決意するようになった経緯を教えてください。 内山 生まれは戦後の住宅地の一角、東京の世田谷なんです。新興住宅地でしたから周囲には古い言葉でいう「俸給生活者」が非常に多い。特に戦後の高度成長期というのはサラリーマン的価値観で一色に塗りつぶされていったような時代ですね。子供に対しては高学歴志向をもち、いい企業いい職場に就職していくのを理想としていた時代。そうした雰囲気の充満した街の中で暮らしていましたから、戦後社会の中で思考力を失っていく人々の姿がよく見えた。親たちの話っていうのは偏差値がどうだの、どこの高校に入るだのそんな話ばっかりでしたからね。でも、人間にはほかにもたくさん考えるべきことはあるわけで、もっと人間に力があって生き生きしている世界があるはずだ。そういう思いを中学生のころからでしょうか、抱き続けていたんですね。
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それで身をもって村の生活を経験してみようということに?内山 本当に経験するということはできないのかもしれないですけど、実際に自分の身をその中に置いてみる。内部からものを見て考えていくということを擬似的にでもいいからやっていかないといけない。そうした気持があったし、今もあるということです。哲学というのは本来そういうものだったはずなんです。その言葉の通り、内山さんは思索者であると同時にさまざまな実践的な活動にも携わっていらっしゃいます。内山 NPO(非営利団体)的な活動などにもいくつかかかわっています。その中のひとつ、これはNPOではないが、「文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議」というものを約二年前に立ち上げまして、将来の神社仏閣の建築材の供給に必要な森を育てるという取り組みをしています。その取り組みについて詳しく教えてください。 内山 木造建築の場合、周期的に補修をしていく必要があります。場合によっては建物すべてを解体して土台から作り直していかなくてはいけない。たとえば法隆寺ですと三百年に一度くらい大改修をやらなくてはならない。法隆寺はそうやって千年以上保たれてきているわけです。だからその背景には森で育ってきた三百年の木があり、千年を超える技術の伝承がある。つまりそこには永遠の時間が形成されているということです。
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とすると天然林で育ったような木でないと使いものにならないということでしょうか? 内山 もともとは天然林の木を使ってきたんです。ところが、今は檜を天然で出せる場所というと木曽しかない。その木曽にも大きな木はないというのが現状です。だから、これからは否応なく人工林の木を使わざるを得ない。天然林で育った木の場合、人工林で育った木に比べて非常に木目が詰まっています。昔使っていた文化財の木というのは、一ミリの間に木目が三本くらいある。そういった木をこれから文化財のために安定的に提供していける森は、日本にはもうないと言ってしまっていいでしょう。
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