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世界各地を旅されて、これまで六十近い国へ行かれたそうですね。宮内 子供のころ、誕生日のお祝いに地球儀をもらって、眠る前、 枕元に置いていつも回して眺めていた。そのとき、この地球という惑星が一体どのくらいの大きさで宇宙空間に 浮かんでいるのか、それをすごく知りたかった。ほかのことは独学できるし、本を読めば分かるけれど、 地球の大きさを実感できるようになるには旅をする以外ないなと。それが僕の出発点になっている。高校を出て、 日本各地を四年くらい歩いた後、アメリカに渡った。それ以来、地球を何周もしてきたから、地球の大きさを大体 イメージできるよ。作家を志したのはいつごろですか。宮内 はっきり意識したのは高校二年の時。オートバイ事故で火だるまになって、 生死の境をさまよった。四ヵ月間入院していた。それまでは画家になりたいと思っていたけど、人間が生きると か死ぬとか、死んだらどうなるかということは文学でしか表現できないと確信して、しだいに美術から文学に 関心が移っていった。新作小説『焼身』の着想を得たのは。 宮内 そのオートバイ事故の体験も伏線だったけど、ベトナムのお坊さんが
坐禅を組んだまま燃えている写真、あれは全世界にものすごいショックを与えたんだ。
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ベトナムへの旅を通して、X師は何者なのかという問いに対する手応えを得ることはできましたか。宮内 一つの精神が誰かの中で生き返るという意味で、やはり仏陀の生まれ 変わりだと思った。仏陀は二千五百年も前の人だけど、その思想はわれわれに伝わっている。僕らはそれを知っている だけ。でも、このベトナムのお坊さんは、まさに仏陀の精神が乗り移るようにして、あのような焼身供養を実行した わけですね。戦乱の真っただ中で。今回の『焼身』をはじめ、宗教をテーマにした数々の作品を執筆されていますが、文学者として宗教を どのように見ていますか。宮内 宗教と文学は絡み合い、せめぎあっていて、分離できないものだと思う。 例えば仏教にもキリスト教にも「悪魔の誘惑」が出てくるでしょう。僕はあのシーンがものすごく好きでね。あの場面には、 人類の精神のドラマが最も凝縮されているような気がする。そこには真実の全体というか、矛盾の全体がある。 その矛盾のむきだしの塊そのものが真実だとすれば、悪魔の誘惑のシーンはほとんど文学だよね。 きびしい修行をすれば、ある段階でかならず悪魔の誘惑に出会うと思う。それに向き合い、考え抜いた人が本物の 宗教者だと思う。僕は小説家だから、どうも誘惑者というか、悪魔の側にいるような気がする。今回の小説では、 その悪魔の側からX師に迫っていっても、この人には脱帽ですという感じがあったね。だから小説家である僕は、 あの人のことを誠心誠意書いた。世の中にはものすごい人がいるね。ベトナム政府の仏教弾圧に対して訴えるべく身を焼いたX師のように、ある目的のために自らを 犠牲にするというのは、宗教者の究極的なあり方と考えますか。 宮内 つきつめると、そうなるんじゃないかな。やはり自ら発心して宗教者に
なった人は、本気で人々に訴えかけてほしい。聖職者になった以上、命がけでやってほしい。例えばイラク戦争の時、
もしもローマ法王やダライ・ラマや日本の宗教界が一丸となって人間の楯になったら、空爆は絶対にできなかったと思う。
それくらい宗教って力を持っている。そういうことが試されている時代に来ているんじゃないかな。
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今の世の中で、文学はどのような力を持ち得るでしょうか。 宮内 僕は早稲田大学で三年間教えていたけれど、若い人たちを見ていると、
この世界が空っぽで、生きるに値しないと思っている。自分自身に価値を見いだすことができず、生きることに意味が
ないと感じている。そうではない、この世界は生きるに値する、人生には意味があるということを何よりも強く出すのが
文学であり宗教であると思うんだ。
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