宗教とナショナリズムの問題に関心を持つようになった契機は。
中島一九九五年の阪神・淡路大震災とオウム真理教事件が宗教の問題を考えなければならないと思ったきっかけですね。この年は戦後五十年にもあたっていて、ナショナリズムの問題が勃興してきた時だった。宗教とナショナリズムというのは、当時はどのようなスタンスを取るべきか分からない問題だったのですが、自分にとって生きるという問題に直結しているのだろうと思って、そのころからこの二つのことを考えるようになった。そこから近代日本とアジアの関係についてもいろいろ調べ始めたのです。
その過程で、ラース・ビハーリー・ボースに出会った。
中島まず関心を持ったのは大川周明でした。大川は東京裁判で民間人として唯一A級戦犯に指定され、インド・イスラム圏からは最大の理解者とみなされていた人です。さらに彼と交流のあったボースのことを知って、この人の人生にのめり込んでいったのです。
最もボースにひかれたのはどのような点ですか。
中島ボースは非常に才能がある人で、インドでも若くして革命家のトップに立つ。けれども、日本に来ていろいろな問題の板挟みに遭いながら苦悩するんです。
彼は日本人に好かれた人で、軍人などから会合や宴会に呼ばれると、すごく場を盛り上げる。しかし帰り道に寂しくなって、一人で家に帰れず、親友の秦学文という在日朝鮮人実業家を行きつけの店に呼び出すんです。二人は酒を飲みながら、ほとんど会話もなく泣いていたそうなんですね。日本は、イギリスによるインド支配と戦うためにつながって頼りにしている国だけれども、親友の在日朝鮮人にとってはイギリスのように祖国を迫害する存在でもある。そうしたとき彼は、泣くしかなかった。
ボースは左翼から見ると日本の帝国主義やファシズムにおもねった人間かもしれないし、右から見れば日本のアジア解放を信じた英雄という義勇談に埋没する人かもしれない。でも、右とか左という歴史観からはこの涙はよく分からないはずなんです。それでこの人の伝記を書きたいと思った。彼を通じて見た近代日本、近代アジアというのは何なのだろうと。
ボースと当時の日本人を結びつけた要因の一つとして宗教の問題にも言及していますね。
中島ボースはヒンドゥー教徒で、オーロビンド・ゴーシュという近代インドの宗教哲学者に大きな影響を受けていた。そういうところが近代日本の若い思想家たちとも共鳴し合ったと思います。大川周明をはじめ日露戦争の後の若者というのは、大正教養主義などを経ているので、華厳の滝に飛び込んだ藤村操のように、立身出世というより自分の生きる意味や価値を求めた人が多かった。
ボースはその世代と思想連鎖をしていき、彼らから学びながらアジアの価値を日本人を通じて大きく体系化していこうとする。それは非常に不格好ではあるけれど、間違いなく宗教の価値とか近代の物質文明をどう超えたらいいのかという問いが共有されていた。
しかしそのような感性がなぜ帝国主義や具体的な暴力へと後々つながっていったのか、そこを反省的にとらえなければならない。かといって、彼らが試みた価値の探究は捨ててはいけないと強く思いますね。
現代インドの諸問題についての実地研究もされていますね。
中島大川やボースを研究する中で、当時の雰囲気とか、戦前の日本でなぜあれだけナショナリズムが高まったのか、庶民レベルでの状況が分からないという問題があった。それがインドでは今、ナショナリズムが勃興して、世界的にも非難されている。そこへ行けば、大衆レベルでナショナリズムがどのように拡大しているのかという問題も拾えるかもしれないと考えたのです。
近著『インドの時代』では、インドの新たな宗教復興の流れについて論じていますね。
中島これまでインドに対する見方は「悠久の大地」とか「貧しいけれど日本人が失った目の輝きがある」といった一面的な言説がほとんどだった。他方、九一年の市場開放以来、インドは急速に豊かになって、IT先進国になったという情報も入ってきているし、政治や経済でも「インドブーム」といわれるような状況になっているが、そこでも非常に一面的なことが語られている。
しかし一方で、インドの人たちは今、経済成長の中で自分たちの生き方を省み、真の豊かさとは何かというような存在論的な問いを発し始めているんですね。伝統的な共同体から切り離された都市生活者たちの間では人間関係が希薄化し、鬱病や自殺率もどんどん増えていて、それに応える形でスピリチュアルブームや新宗教が勃興してきている。
七〇年代ごろには「キワモノ」と見なされていた新宗教が、最近はインドの中産階級で非常に受け入れられている。
そういう状況の中でヒンドゥー教寺院のあり方もずいぶん変わってきた。地域社会と寺のつながりは弱まって、自分の指向性によって宗教的なグル(師)を選ぶという時代になっている。
そうした変化が宗教に新しい息吹をもたらしていると同時に大きな問題になりつつある。そしてそういうものが狂信化してヒンドゥー・ナショナリズムに行っているのは間違いないと思うんですね。
ヒンドゥー・ナショナリズムにはどのような問題点があると考えますか。
中島一番大きくは他者の排除の問題です。「真理の一元的所有」と僕は言っているのですが、自分たちこそが真理を体現していて他は嘘だという発想が強く、それがナショナリズムともつながっている。インドはサンスクリット的ヒンドゥー原理を中心とした国家でなければならない、それに基づいてインド国民を一元的に統合しなければならないという発想で、それが多様な宗教を真理の別な形の現われと認めないような排他的なアイデンティティ・ポリティクスになっている。
そう考える前提はよく分かるんです。物質的に裕福な暮らしが本当の豊かさなのかとか、それで心や生き方の問題が解消されるのかというのは、僕自身にもつきささる問題です。けれどもそれが、なぜ自分たちだけが正しいという方向にいくのか。そこは注意深くなければならないと思う。
著書の中では二種類の宗教復興のあり方を挙げていますね。
中島宗教復興には「単一論的」なものと「多一論的」なものがあると思いますが、例えばイスラム教原理主義にしても、キリスト教福音主義にしても、自分たちだけが真理を体現しているという「単一論的」なものが今日の世界では非常に多い。
そうではなく、さまざまな宗教は究極的には一つの真理に行き着くし、その真理が多様な形でこの世界に現われているという、宗教間の対立を前提としない「多一論的」な宗教復興のあり方を考えたいですね。
そのような宗教観を考える上で最も影響を受けたのはどのような思想ですか。
中島西田幾多郎を中心とする京都学派の哲学、そしてもう一つは親鸞です。僕は真宗の感性というか、親鸞の言ったことに依拠しながら生きたいと思っているのですが、親鸞の思想を非常に体系的な形で展開した一人が西田だと思います。多と一の絶対矛盾的自己同一というか、矛盾し合いつつ多なるものが一つのものとして昇華していくようなあり方というのは、西田をはじめ戦前の日本の思想家たちが考えたラインであり、それが実はアジアの歴史の中で一番重要なテーマでもあったと思う。
仏教やヒンドゥー教、イスラム教スーフィズム(神秘主義)、老荘思想などで考えられていたのも、一つの真理と多なる社会をどのような関係性でつなげばいいのかという問題だった。真理は不可知なものであるけれども、それがいかに多の世界の中に現われているのか、というのがアジアの信仰の中心的課題だったわけですね。
それが今後のアジアを考える上でも通底するテーマであると。
中島少なくとも昭和の初期には、たとえ失敗であったにしても、多一論的宗教観の重要性やアジア主義の文明論的な意義の問題に取り組んだ人たちがいた。そして、「近代の超克」や「あるべき価値」を語ることは危ないと思われた戦後があった。でも、もう一度原点に戻って、アジア主義というものを、それが帝国主義に横滑りしない形でどのようにあり得るのかを哲学的にも考えたい。
政治や経済の利害関係を超えたもっと奥深いところでどのような価値の共鳴が可能なのか。そのためには、やはり信仰や宗教の問題を問わざるを得ないと思います。