■首都圏の開教事情をどうご覧になっていますか。
斯波首都圏というのは難しい概念で、秩父を除く地域と埼玉県南部、要するに埼玉の通勤圏と、千葉の木更津・君津辺りから東京寄り、神奈川では小田原までというくらいの範囲です。茨城、群馬、栃木はどうしても違いますし、静岡も違いますので、その範囲の中で考えていただく。
浄土真宗は西型教団といわれて関東は弱い。親鸞聖人が『教行信証』を書かれたのは関東の地ですが、宗門はこれまであまり首都圏に対し投資してこなかった。大学は首都圏に武蔵野大学がやっと男子にも教育の場を開いただけで、国府台(女子学院)も千代田(女学園)も女子校です。医療や社会福祉に関しても投資をして、純粋に宗教活動ができる素地を作ることがまず必要です。
何もないところに突然、どんな崇高な教えを持ってきて話をしても難しい。やはり日常の基本的な活動や接点を作ることが大事です。浄土真宗の場合は、それぞれ寺院単位での活動しか関東ではない。首都圏にこれだけ人口が集まっていながら、それに対応した産業界におけるいわゆるインフラストラクチャー、社会資本に当たるものが整備されていないということです。
基本的な投資は、ある程度、宗門という組織を挙げて行なわれるべきではないでしょうか。子育て支援もそうだし、ホスピスだってキリスト教に任せておくのはどうか。ビハーラを提唱するのであれば、宗門がもう少し首都圏というものをにらみながら対応すべきだと思います。
■当面する課題はどこにあるでしょうか。
斯波二〇〇七年問題以降の対応が宗教界ではほとんどできていないように思います。もちろん開教拠点を増やすということはマイナスではありません。一つより二つの方がいい。けれども増やすことと中身を濃くすることはイコールではない。全体の底上げをしながら、底上げされた人たちをフォローアップするのが寺院を増やしていくことであって、ただ拠点を増やせというだけでは不充分だと言わざるを得ません。
データを集め、集めたデータを分析しなくてはだめです。たとえば人口が三十万あるのにお寺が一つか二つしかない。まだ寺ができるだろうというのは関西の人から見れば当然です。でもデータ的に人口が三十万あっても、三十万より増えないような町は開教の可能性は非常に低い。十五万しかなくても、人口が増えているところは可能性がある。
データ分析は現状と将来予測のポイントを見なければだめです。
私が住職をしている寺のある多摩地域には特殊事情があります。浄土真宗本願寺派の寺院は昭和になるまで町田を入れて二ヵ寺しかない。東京教区多摩組の残りの二十二ヵ寺は移転か新設です。しかも、昭和の初めの時期でも寺と墓地の移転は難しく、まとめて土地を取得し、数ヵ寺で分割したため寺院が偏在してしまったのです。
そういう事情をほとんど考慮せずにデータが作られるとしたら悲しいことです。
基本的な底上げをするための最低限の投資をしなければいけないというのはそういう意味で、もともと基盤の弱い地域の人たちが集まっているところで布教活動をしなければいけないという前提を忘れてはいけないという話なんです。
■西と東の地域事情に違いはありますか。
斯波人口に対する寺の割合が多いか少ないかでいえば、浄土真宗は圧倒的に西が多い。そしてネットワークができている。一つの理由はお墓です。関東は寺墓地が多く、関西は共同墓地が多い。関西では墓地とお寺が別ですから、容易に近くのお寺と縁を結ぶことが可能です。こちらは関東平野一円で、檀家は一都六県ですから、寺の活動も変わります。
■都市型の寺に不特定多数の人を集めるには何が必要でしょうか。
斯波どの宗旨にも言えるのは、潜在的な希望があるものに対して、受け皿を用意することが大切だということです。せっかく勉強したい、興味がある。だけど、どこにとっかかりがあるのか分からない。地方から出てきて、祖父母の何回忌かに東京でちゃんとお参りしなさいと言われて、思い当たるような接点が見当たらない。
受け皿の作り方はそれぞれ特色があるべきだと思います。そういう受け皿づくりを考えないと、本当の意味で儀礼だけの宗教になってしまう可能性がある。
■どの教団も布教教化について模索しているようです。
斯波宗教活動にはマクロとミクロの両方が必要だと思います。各寺院の特性に合わせて宗教活動は行なわれるべきだろう。地域の特性、寺院の特性、住職の特性もあるでしょう。住職が音楽活動が得意ならば、それを生かして布教活動をするのも一つでしょう。でも一人の住職が全国ネットではできない。
地域で地道な活動をするというミクロの宗教活動と、それを宗門全体としてやっていこうというマクロの活動の双方がうまく重なり、フォローし合えると活動はたぶんうまくいく。一方が一方を頼りにし、どちらかだけが先行して動いても、必ずしもいい結果は得られない。
二〇〇七年問題についても、高齢化社会がやってくるとか、現役として活動する人たちがリタイアしたとき経済活動がどうなるかというところに視点が行っていますが、リタイアした人たちがどういう生活をするかということは必ずしも語られていない。宗教界はむしろ、リタイアした人たちが亡くなってからどうしようかではなくて、どういう生き方をしていくかをフォローしていかなくてはいけないと私は思っています。
政府が子育て支援という話を始めたときに、各宗派は、そこにこそ手を差し伸べるべきです。お寺も宗教界も若年者の子育てに対応できるはずです。過疎過密の問題を考えるときに、終末だけにスポットライトを当てるのではなくて、都市部における若年層の子育て支援を宗門を挙げて始めようというキャッチフレーズはすごく大事だと思います。
■そのとき、宗団にはサポーターであってほしいですね。
斯波強制を伴う活動よりは、地域に応じた活動をフォローアップして、全体として統制のとれたものにする。地域の特色に応じた活動であるけれども、全体として方向づけができており、ベクトルの向きは同じ。そういう活動ができればと思います。