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関山和夫氏

平成19年(2007年)6月21日1面

佛教大学名誉教授・仏教芸能研究家の   関山和夫氏に聞く
   東京で公開講座や入門仏教塾を開くなど、親鸞聖人の教えを首都圏で伝えている東京親鸞会の結成四十周年と、説教研究家の関山和夫佛教大学名誉教授の喜寿、節談説教研究会の結成を記念して、「節談説教布教大会」が七月三日午前十時から東京都中央区の浄土真宗本願寺派本願寺築地別院で開催される。  大会では、初めて節談説教を世に紹介し、説教を学問的に体系化した関山名誉教授が「節談説教の解説」と題して講演。石川県の真宗大谷派満覚寺の廣陵兼純住職が「立撮即行」と題して説教するほか、五人の真宗各派布教使が節談説教を実演する。これを機縁に、節談説教研究会を立ち上げ、節談説教の進展と後継者の育成を目指すという。大会を前に、関山氏の大会に寄せる思いを聞いた。 (聞き手=山田繁夫)


■節談説教とは?
関山節談説教は芸能ではなく、あくまで布教です。真宗の宗義を踏まえ、和讃や法話を巧みに導入し、話と節を融合させた情念に訴えかける真宗が生んだ優れた布教法で、他の宗派には「節談説教」という呼称も伝承もありません。
   江戸時代から近代にかけて広く行なわれていましたが、近代教学の進展とともに軽んじられ、衰微していきました。今はごく一部に伝承されているのみです。
■具体的にどういう説教だったのですか。
関山節談説教は言葉に抑揚をつけ、涙と笑いをない交ぜにし、とうとうと弁じ立て、本堂を埋めた聴衆を陶酔させ、感動させました。感動のあまり法悦の受け念仏が自然に聴衆の口から突いて出て、鯨波(とき)のような念仏が沸き起こり、最高の宗教的雰囲気が醸し出されました。一席が終わると、会場にさい銭を集めるざるが回され、お説教がよいとさい銭もよく集まったものです。
■道場や流派があったのでしょうか。
関山学問は五十年かかっても大したことはできませんが、説教は修行してテクニックと精神を身につければかなり大成できます。江戸後期から近代にかけて播州・東保の福専寺に説法道場が開かれました。能登節、加賀節、尾張節などの型に加え、東保流や遠藤流、椿原流、渥美流、調流などの流派も生まれました。布教使らはそこで修練に修練を重ね、技術を磨きました。学者に差別されながらも、地べたをはうように布教を続け、真宗の発展に尽くしたのです。
■衰微した節談説教が、なぜ復活することになったのですか。
関山四十五年ほど前に私は滅亡する寸前の節談説教と話芸のかかわりを学問的に明らかにした『説教と話芸』(青蛙房)を刊行し、その後、説教の歴史を研究し、発表してきました。
   放浪芸の伝承に取り組んでいた俳優の小沢昭一さんがこれに共感し、小沢さんや真宗寺院出身の永六輔さんらと東京の岩波ホールで「節談説教の会」を開きました。私が講演し、私が台本を書いた「説教板敷山」を小沢さんが実演、真宗大谷派の布教使であった故祖父江省念氏が「忠臣蔵・寺岡平右衛門の段」を実演し、永さん司会の座談会も開き、これが超満員になるなど大成功を収めました。
   続いて名古屋、大阪、京都、福岡、岐阜、沼津など各地でも開催、いずれの会場でも好評で、衰微した節談説教が見直されるきっかけになりました。四十五年前に私が節談説教のことを書かなければ、失われてしまったかもしれません。これが節談説教復活の機運になったと思います。

■節談説教と現代法話を比較して、どう思われますか。
関山私も子どものころに節談説教を聞きましたが、現代法話にはあのころの節談説教の感動的な光景が見られません。国文学者の藤本徳明氏は「大衆の支持を失うとき、組織体はいかに高度な知識人を多く擁していようとも衰弱の運命をたどらざるを得ない」と言っています。
   説教は学問とは異質のものです。信仰は学問や理屈ではありません。これを混同してしまったことに現代法話の問題があると思います。説教には常に情念が必要です。学問や論理を優先させることで情念を喪失し、おもしろくもありがたくもない法話になってしまいました。
■今回の大会の意義は?
関山明治期になって西欧文明が移入され、近代学問が進むにつれて、真宗の内部に通俗的な説教より、学問的な講演形式の法話が立派で高度なものだという風潮が現われるようになり、情念の説教が異端視され、低俗視されるようになりました。宗門でも真宗の貴重な財産であった節談説教を自粛したり、果ては禁止したりして宗派がその存在価値を忘れてしまいました。今こそ大切なものを真宗は取り戻すべきです。今度の大会は現代仏教界にエポックを画す意義深いものになると私は確信しています。

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このページの最終更新日 2007年7月20日