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佐々木容道天龍寺派管長

平成21年(2009年)10月17日4面

『夢窓国師――その漢詩と生涯』   佐々木容道天龍寺派管長に聞く
   夢窓国師(夢窓疎石)を開山とする臨済宗天龍寺派大本山天龍寺にこのほど晋山した佐々木容道管長が新著『夢窓国師――その漢詩と生涯』を上梓した。同書で国師の残した偈頌を取り上げ、己事究明の歴程と境涯を読み解いた佐々木管長に、夢窓国師と天龍寺の禅について聞いた。(聞き手=津村恵史)


■本書は『禅文化』誌連載が基ですね。
禅文化研究所の研究員だった時、平田精耕老師や栂正隆事務局長の勧めで執筆したものです。連載時は「夢窓詩雑感」と題していました。
■夢窓国師は七朝帝師で、北条高時や後醍醐天皇、足利尊氏・直義兄弟が帰依した高僧というイメージがありますが、本書では修行時代、聖胎長養の姿が印象的です。
国師は九歳の時に出家し、二十歳で意を決して禅僧としての修行を始めた。後醍醐天皇の勅命で南禅寺に入寺したのは五十一歳になってから。悟りを求めて真剣に修行し、三十一歳で仏国国師の印可を受けた後も隠遁の思いが強く、一所に長くとどまらずさまざまな土地で庵を結び修行を続けておられます。
若いころは、仏典の外に外典についても多く学び、聖胎長養の時期には大円覚の悟境から広く世間の有り様に接してゆかれた。それが、後半生で大きく生きてきます。
■国師の禅風の特徴とは?
夢窓国師にとって仏国国師の下で修行したことが非常に大きな意味を持っています。国師は当時来朝した一山一寧に参禅して宋朝禅に接しますが、一山国師は初入の方便を用いず、言語の壁もある。そこで、鎌倉萬寿寺におられた仏国国師高峰顕日に参じられる。仏国国師は無学祖元禅師(仏光国師)の法嗣で、後嵯峨天皇の皇子だった方です。
その仏国国師の法を嗣いだ夢窓国師の禅風は、中国直輸入の禅ではなく、多分に日本的な心情と融合したものといえるのではないでしょうか。
本書で取り上げた偈頌も形式は漢詩ですが、そこに生きているのは日本人の心ですね。国師がお造りになった庭園にしてもそうで、例えば苔寺(西芳寺)の庭を見ると、上段の枯れ山水は厳しいが、下段の池を中心とした庭は日本的な感覚が強く伝わってきます。
■南禅寺に出世したのは大きな転機ですね。
後醍醐天皇の詔勅もひとたび辞退したが、執権北条高時を通じて再度上洛を促され、やむなく山居独住、隠棲の日々を打ち切って南禅寺に入られた。後半生も決して自ら権門に近付かれたわけではありません。
足利尊氏・直義の兄弟は深く夢窓国師に帰依し、国師の感化のもと、戦乱の犠牲者の菩提を弔うため全国に安国寺・利生塔を建てることを決め、後醍醐天皇の崩御後、天龍寺を建立して国師を開山に迎えます。
夢窓国師は尊氏には「仁山」、直義には「古山」という道号をそれぞれ与えた。二人の人柄を深く見抜いておられたようです。『梅松論』には国師が尊氏について、慈悲天性、御心広大と評した言葉が引用されています。直義については仮名法語の『夢中問答集』があり、そこからも直義の実直で古風な性格はうかがわれます。
天龍寺は後醍醐天皇追修の道場として建立されたわけですが、そうした尊氏兄弟の人柄、そして戦乱の最中という歴史の背景を踏まえて、その意義を考える必要がありますね。夢窓国師も天龍寺開創の時代的意味とそれにかかわる自らの仏教者としての責務を強く心にとめておられたのではないでしょうか。

■夢窓国師が天龍寺に遺し、代々伝えられてきた禅を、現代の立場で見直すと?
天龍寺専門道場では講席の時、夢窓国師の遺誡(七朝帝師遺誡)を唱えます。「所謂る猛烈にして、所縁を放下して専一に己事を究明する、これを上等とす」とあり、「修行純ならず駁雑にして学を好む、之を中等と謂う」とされています。
夢窓派からは五山文学が花開くのですが、仏教が学問に傾き、己事究明の態度や実践がおろそかになることを心配しておられたと思います。内典・外書に通じた国師であればこそ、学問は心地開明の方便だということを強く警告された、と考えます。夢窓国師の造られた庭園にしても接化の手段として見るべきで、そこでもあくまで大円覚が基礎になっています。美しさから仏法に入ってゆく方便といえるかもしれませんね。
現代は法を説くには非常に難しい時代で、われわれも常にその難題に直面しています。その際、一番大切なのは、当たり前のようですが、肝心要の部分は何かを見失わないことです。禅僧としては、自分の修行してきたところを基礎に、そこから自分のできる働きを人々のために為してゆくことに尽きるでしょう。
本書では夢窓国師の己事究明の精神的歴程を書きましたが、そうした意識を持つ読者にとって多少なりとも参考になれば著者としては実にありがたいですね。
定価三、六七五円、春秋社(電話〇三・三二五五・九六一一)刊。

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このページの最終更新日 2009年11月25日