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「正法眼蔵」出版の足跡   角田泰隆教授が講演

2009年7月4日

駒沢大学仏教学部の角田泰隆教授が六月二十六日、同大中央講堂で講演会「『正法眼蔵』出版の足跡」を行なった。同大禅文化歴史博物館で開催中の企画展「『正法眼蔵』出版の足跡 貴重書に見る禅の出版文化」(二十四日まで)の関連行事。

道元禅師研究が専攻の角田教授は、道元禅師の代表的著作である『正法眼蔵』が書写・出版などを通じてどのように普及していったのかを分かりやすく解説。また普及の中で、十二巻本や七十五巻本といった異なる編集のものが作られていった経緯にも触れ、「現代でも新しい『正法眼蔵』を編集する動きがあっていいのではないか」と提案した。

角田教授は、『正法眼蔵』は最初から一つの編集形態にまとめられていたものではなく、道元禅師の個々の法語類を後世の人たちがまとめ、作り上げてきた書物だったと解説。そうした経緯から十二巻本や六十巻本、七十五巻本といった、複数の編成が存在していると語った。また、それらには道元禅師の考えとは違う編集者の意図が入っている場合もあるとし、『正法眼蔵』はそのような観点からも研究していく必要のある史料だとした。

『正法眼蔵』が広く出版されるようになったのは、道元禅師の遷化後約四百年を経た江戸時代前期のことだったという。この「遅さ」について角田教授は、『正法眼蔵』が漢文ではなく仮名で書かれていたことから、「かつての日本にあった漢文を尊重する文化の影響を受けてしまったのではないか」と解説した。また江戸期の出版・伝播には、卍山道白や月舟宗胡といった当時の「古規復古運動」(宗門を昔の正しい姿に戻そうという運動)の推進者らが、道元思想を再確認するために進めていた側面もあることを紹介した。


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このページの最終更新日 2009年07月03日