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  時感断想 − 第8回

 1、    留学−虚往実帰−        今も昔も語学力がカギ


高木●(言+申)元

1、留学−虚往実帰−
今も昔も語学力がカギ

2、進む異宗教協調
キリスト教との対話から

3、「ピース」と「平和」
仏陀の真の微笑はいつ…

4、自然の声を聞く
内密的一体性の回復を





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 天平七年(七三五)六月に遣唐使船で、十九年ぶりに留学僧玄や留学生下道(吉備)真備らが帰国した。玄は在唐中、玄宗皇帝から三品に准じて紫袈裟を贈られ、仏教経論五千余巻を請来した。真備もまた『唐礼』百三十巻、『楽書要録』十巻や一行禅師の『太衍暦立成』十二巻などをもたらし、後に出世して右大臣となる。
 実はこのとき、玄や真備らとともに学業の功なって帰国すべき留学生が、ほかにいた。その名を「井真成」という。しかし彼は、わが国からの遣唐使節が久々に長安の都に入った唐の開元二十二年(七三四)正月に、帰国を目前にして唐都に客死した。
 そのことは、最近、西安市で発見されたこの遣唐留学生の墓誌から分かったことである。彼は日本名を井真成といったと思われるが、経学を倦まず、礼楽に長けていて、玄宗皇帝はその客死を悼んで「尚衣奉御」の官職を贈ったと墓誌には記されている。もしも無事に帰朝しえていたら、吉備真備と並び称される官人として、名を残したかもしれない。
 留学といえば、今年は伝教大師最澄や弘法大師空海が入唐留学して一千二百年に当たる。このとき比叡山からは円基も入唐したし、橘逸勢が留学生として渡海している。請益僧としての最澄も留学僧としての空海も、ともに所期の目的は充分に成し遂げての帰国であった。
 とりわけ空海の受学は「漢梵差(たが)うことなし」といわれ、「十年の功を四運に兼ね」たと自ら語り、また「虚しく往きて実ちて帰る」と称賛されてもいる。
 留学生にとって、語学力の有無が事の成否を左右することは、今も昔も変わりない。円基は眼疾と称して留学を断念したようであるし、橘逸勢も語学力の不足のために、ついに長安の大学で研修できないまま、とくに願い出て、空海とともに帰国の止むなきに至っている。
 留学にも、悲喜こもごもの状況があったのである。

(H16.11.23〜H16.12.14)

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このページの最終更新日2005/01/18