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| 時感断想 − 第19回 |
1、 明治生まれの父の配慮 ドン尻の席次からスタート |
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私は、昭和十九年六月三十日京都府立病院で、父文清、母節子の三男として生を受けた。 昭和四十四年三月國學院大學神道学専攻科を卒業、直ぐさま父文清(故人)の指示に従って平安神宮に奉職、 神社界への第一歩を印した。以後三年と五ヵ月同神社で神職として所謂「修行」をさせていただいた。 当時、京都府神社庁は平安神宮の応天門脇の一室を間借りして庁務を行なっており、 庁長であった父は、神社庁に登庁するたびに私の奉務状況を多分観察していたと思う。私には多少鬱陶しい気持で はあったが、その後平安神宮を辞し、累代奉仕の石清水八幡宮に昭和四十七年九月に戻り今日に至っているが、 年月の過ぎ去るのは早いもので、神職になってもう三十六年余が流れた。 平安神宮にしろ石清水八幡宮にしろ、当時は明治、大正、そして昭和一ケタ 世代の先輩神職が山程おられ、時には厳しく、時には手とり足とりで、神職としての基本をみっちり躾けられた ものである。今から思えばもっと先輩達の話をしっかり聞いてメモでもしておけば良かった、とひとり悔やんで いる。 さて、石清水に帰ってからの私は、勿論権禰宜のドン尻の席次からのスタートで、 周囲からは、父に少し遠慮しすぎではないかと声を掛ける人も居たと後で聞いたが、その辺りは明治生まれの ケジメというか、いくら息子でも神職としてはまだまだ雛、一から勉強させる、との信念であったと思う。 今となればその時の父の配慮のお蔭で、神社内外の下支え仕事の貴重な経験をすることができたし、今宮司として その重責を担うための下地作りをさせていただいたと、父に感謝している。 私が大学を卒業したら自分の好きな道に(実は音楽の世界に)進みたいと考えていた時、父が長男 (現名誉宮司)が少々病弱気味であるからと言って、私に國學院大學に行って、もしもの時に備えて神職資格 だけは取っておくように説得されたことが、結局私の人生を決定付けたのであった。 勿論私自身、累代祀官家の後裔として、わが家の歴史を誇りに思っている。石清水創建と 共に仕えてきた、祖先の長い奉仕の足跡に、今生きる私が、微力ながら連なることができるならば誠に有り難い ことである。 |
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