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| 時感断想 − 第26回 |
1、 家郷の山門の中で 世間から隔絶、少年時代 |
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私は幸運にも自分が学んだ母校で、四十年のあいだ教壇に立って後輩を指導した。そして去年 三月をもって感慨無量のうちに母校を去った。今、私は本分の家郷である自分の寺(滋賀県東近江市)で、老後を 養っているところだ。考えてみると私の生涯は、毎日この寺の山門を出たり入ったりすることを繰り返しただけの ような気がする。 二歳の時、生家を離れた私は、恐らく養母に抱かれて、初めてこの寺の門を潜ってから 今日まで、一度も転居というものをしたことはない。七十年あまりの歳月を、夕方になると帰ってくるのは必ず ここであった。この寺こそ、私の人生の「家郷」であった。今そこへ帰って、もはや寺を出ることなく「帰家穩坐」 しているところである。今にして思えば私の人生は、ただこの寺の山門をせっせと出入しただけで済んでしまった ようだ。 大学生となって京都に通い、少しは世間を知るようになるまでの私は、この寺の門の中の、 狭い世界だけを自分の「在所」としていた。少年時代の記憶は太平洋戦争の勃発から始まる。学校から帰ると毎日、 友達は必ず隣接する神社の境内で戦争ごっこをした。私は師匠が境内に鎌で引いた場所の草むしりを果たさないと、 決して門の外へ遊びに出ることは許されなかった。昔の徒弟教育はそういうものだったのだ。 夕方六時になると、関西電力から電気が送られてきて、外灯に電気が灯る。これが寺に帰る べき「門限」の約束であったが、遊びが過ぎて既に灯った外灯に気が付かず、走って寺に帰ってくると、山門は 固く閉ざされていることがしばしばであった。高い森の木で啼くフクロウの声が恐くて、私は許しが出るまで 泣きじゃくっていた。黒い大きな山門は、確かに禅寺を世間から隔絶するための関門であった。私はその中に 閉じ込められていた。 |
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このページの最終更新日
2006年09月07日