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  時感断想 − 第35回

 1、    そのたびに絶句        モノの命からコトの命へ


薗田稔

1、そのたびに絶句
モノの命からコトの命へ

2、 万物の霊を尊重
病害虫にも慰霊の神事

3、宗教の霊的生命観
生かされて生きる実感

4、温暖化との戦い
全生命の「平和」へ最優先





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   また悲惨な出来事が報じられた。五月十五日の朝、ひとりの高校生が下宿先で彼の面倒をみるために泊まり込んだ息子思いの母親の寝首を掻いて持ち歩き、そのまま福島県警会津若松署に出頭したという。なんとも想像を絶する異様な殺人事件である。
   この十年というもの、そのたびに絶句するような想像外の少年犯罪に何度驚かせられたろうか。平成九年五月二十七日に報ぜられた「酒鬼薔薇聖斗」事件からのことだ。
   産経新聞が先月末に連載した「酒鬼薔薇以降」という特集によると、深刻なのは少年犯罪の量的増加ではなく、その「質的変化」つまりごく「普通の子」が突然に犯す凶悪犯罪の激増だという。これは、明らかに現代社会全体の人心荒廃がもたらす症候にちがいない。
   今では親が子を殺し、子が親を殺す無惨な事件さえ頻発する世相の奥底に、現代人に蔓延する生命観の過ちがある。それは、命を脳と臓器が働く個別の生きモノとしか視ようとしない現代の空ろな生命観である。命をモノ化することは、生を物体化して生命を心無き唯の物象とみなすこと、生のみの個体でしかなく、生と死あっての生命本来の営みを無視するばかりか、親から子、子から子孫へと繋がるからこそ命なのだという生命の本質を見捨てることにほかならない。
   モノの命ではなくコトの命とすれば、それは必然的に生命が生きるコトとなる。つまり我を客体化して他人事のように「生き物」となるのではなく、我が主体的に生きるコトとなる。当然のことながら、生まれてきた不思議を思い、死ぬことを知り、生きるために他の生き物を食らうことに気付く。生きることが生命を授かり、やがて死ぬことであり、それどころか殺すことでもあるという根本の矛盾に逢着するのだ。
   人類は、はるか文明の当初からこうした生命の自己矛盾に気付くなかで、祖先から子孫への命の連鎖に自己を見、万物の生命に生かされる霊性の世界を伝えてきたのである。


(H19.06.26〜H19.07.24)

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このページの最終更新日 2007年07月25日