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  時感断想 − 第36回

 1、    易学哲学史家の死        篤実一辺倒で大作残す


土田健次郎

1、易学哲学史家の死
篤実一辺倒で大作残す

2、『論語』ブーム
激変の現代中国に指針

3、儒教的エコロジー
自然観は人間観の反映

4、美しく年をとれるか
「聖賢の気象」の体得を





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   今年の正月、例年のように朱伯崑氏から賀状が来ないのをいぶかしく思うとともに、もしやという予感があったが、それは的中していた。氏はこの五月三日に八十四歳で逝去された。氏は中国第一の古典『易経』研究の大家で、東方国際易学研究院の院長である。 
   私が氏と面識を得るようになったのは、一九八五年に北京大学に長期滞在したおりで、北京大学教授であった朱氏は私の世話人であった。当時氏は外国人とは積極的に接することを好まないように見え、指導を受けていた日本人留学生たちすらほとんど会う機会がないとのことであった。ただ私の場合は親しく氏と接し、長年にわたって友誼をかたじけなくした。
   当時の氏は目立たぬ存在であった。盛名が一気に高まったのは、『易学哲学史』全四巻百五十万字が刊行されてからである。従来の経学の枠内にとどまる「易学史」でもなく、経学の基礎のない「哲学史」でもない、学問的手堅さと哲学的深度を備えた「易学哲学史」の確立を目指した大作である。『易経』という書物を軸にするのは、中国の学術が経書中心に展開しているからである。氏は北京の名門の清華大学の出身で、近現代中国を代表する哲学者である馮友蘭(ふゆうらん)の助手を務めた。ただその学風は篤実一辺倒のもので、師匠のような華麗さとは無縁である。
   ここ十年、氏の活動は華やかに見えたが、ご当人は相変わらず地味な方であった。北京大学退職時期の早さ、引越先の質素さ、自著の出版社の格の低さにもこだわらなかった。実は氏の父上は国民党系で、それゆえ文化大革命の時に厳しい迫害にあい、ご家族にも癒えることのない傷痕を残した。また天安門事件の時には行き場のなくなった院生を自宅に起居させた。そのことを私は当の院生から聞いた。時に飲酒や観劇で屈託をまぎらわせることもあったそうだが、北京近郊の名もない山を散策するのがことのほかお好きであった。国家に翻弄されながら終始一貫愛国者であった。
   氏の『易学哲学史』は近々日本で翻訳が出版される予定である。病をおして訳業を主宰された北海道大学の伊東倫厚教授もこの一月に逝去された。亡くなるのとほぼ同時に賀状がとどき、そこにはご自身の死が予告されていた。


(H19.07.31〜H19.08.28)

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このページの最終更新日 2007年08月28日