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| 時感断想 − 第40回 |
1、 我欲の生け捕り "愚かな私"という自覚 |
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平和は人類共通の願いであって、小は一家庭の平和安泰から大は国家民族は言うに及ばず、地球上に住む人間として平和を願わないものは一人もありません。しかし平和を願いながら平和を乱すものも人間です。平和を願いながら平和を乱す矛盾した存在が現実の人間です。 自己の思うようにならないといって、弱小な幼児を殺害したり、目前の悦楽を求めて孤独な老人や婦人を襲い金銭を奪い、ために殺害することが平然と行なわれていることが日々の報道機関や新聞に見られます。 これらは全て自己中心の利己的考えによるものであって、仏教ではこれを我欲我執と言い、「唯識論」では常に自己一人のみが主人となり、他を支配しようとする(常一主宰)考えと釈しています。これは小は一個人の我儘な行為から大は国家民族のみの繁栄を考える国家我・民族我が見られます。 仏教は人間苦悩の元を我欲我執にありとして、ために無我・縁起の法が説かれます。そしてこの我欲我執の心を煩悩心と名づけ、この煩悩心の断滅を説きます。そのために思索(観念)を基とする種々な行が説かれています。しかしこの我欲我執の煩悩心の断滅は容易なことではありません。 法然上人はこの我欲我執の心を反省自覚の心の中にとらえて、『御消息』に「わが身はこれ煩悩を具せる罪悪生死の凡夫なり」と言い、また「愚痴の法然」「十悪の法然」とも言い、念仏者には「煩悩具足の凡夫」とも言われています。これは我欲我執にとらわれがちな愚かな私という自覚反省を言われたものです。このことは換言すると自覚された我欲我執の煩悩であって、消滅するものではありませんが、反省自覚の心の中に生け捕りにされた我欲我執の煩悩心と言うことができましょう。 |
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このページの最終更新日
2008年01月08日