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| 時感断想 − 第41回 |
1、 日と與に生きる 自然は"いのち"の故郷 |
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『倭訓栞(わくんのしおり)』に、「ひと、人をいう、日與(ひと)の義なるべし、人は萬物の霊なれば日と與(とも)に生々する意味にや」と記されている。太陽を日母といい、また日輪を仰いで日の出を拝する。日の光、日あたり、日あし、日だまり等々、私たちの日ごろの暮らしには太陽の恩恵を称える言葉がたくさんある。 元旦、日の出前の厳しい寒さの中、東天を仰ぎ今か今かとご来光を待つ人々、比叡の山の端が金色に輝き、刻々と昇る太陽に感無量、思わず合掌を捧げる。共に初日の出を拝する心はまことに清々しい。寒さが厳しくなると、背に受ける日の温もりが嬉しく、身も心も日なたにくつろぐ。畳の目ほど日ましに永くなる日あしに春の日の光が待ちどおしい。 日と與に生き日と共に過ごす日々を実感していた人々、日與の言葉の意を深く味わう。万物の目ざめを告げる暁の厳かな光、休息を促す日暮れのほのかな光、人は誰しも厳かな光に神性と活力を、ほのかな光に安らぎくつろぎを感じる心を秘めもっている。 今の世も人は日與であり、私たちを包んでいる自然、太陽も月(水)も大地(地球)もさまざまな生きものたちも、すべての生命と共に(與に)十方法界の大慈愛に包まれて生かされていることに気づきたい。「人は萬物の霊」、すぐれた存在、生命の不思議を、慈しみを感受する意(こころ)を与えられている。 存在するものはすべて、生住異滅の法の中にある。星も花も虫も鳥もみな移り変わってゆく。人もその厳然たる法の中に存在しているのだということを自覚できるのが人間である。時空を超えた大生命に同じように生かされていることを再認識したい。 日與日輪と共には大自然の中の一員として存在している一世界、人間世界であることを表わしている。自然と調和しながら生きる時にこそ、生かされている感謝と歓びが湧いてくる。自然は"いのち" の故郷であり、心安らぐ心の故郷でもある。 |
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このページの最終更新日
2008年02月27日