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  時感断想 − 第46回

 1、    仏教考古学を整備        カピラ城跡発掘が原点


坂誥秀一

1、仏教考古学を整備
カピラ城跡発掘が原点

2、仏教考古学の展開
六分野に整理し組織化





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   一九六六年十二月、私は釈尊の故郷−ネパール南部のタラーイの地で、地平線の彼方に燃え盛るように没していく夕陽をみて感銘に耽(ふけ)っていた。
   かつて釈尊も若い日々に、カピラヴァストゥで目にされていた夕陽である。それは未確定のカピラ城跡を求めての探究旅行の出発地、ルンビニーの客舎の前庭であった。
   元奈良国立博物館館長・文化功労者の石田茂作先生(一八九四〜一九七七)に師事して、仏教の考古学的研究を意図していた私にとって、釈尊の故郷の遺跡に立つことなど、夢想だにしていなかっただけに、その感懐は一入であった。
   石田先生が出発に際して、「釈尊の遺跡は仏教考古学の原点だから、その地に残されている遺構と遺物は勿論のこと、自然環境についても観察を怠るな」と激励して下さったことを肝に銘じながら、恐らく釈尊が歩まれたであろうタラーイの地に認められる諸遺跡の踏査を繰り返した。
   一八九〇年代の後半から一九〇〇年代の初頭にかけてのインド考古学調査局の報告書をはじめ、法顕の『法顕伝』と玄奘の『大唐西域記』などを指針とした踏査行の結果、カピラ城跡はティラウラコット遺跡ではあるまいか、との感想を強く懐いた。
   そして一九六七年から十余年の間、立正大学の事業としてネパールのティラウラコット遺跡の一部を発掘調査した。ついで、一九九二年から三年間にわたる(財)全日本仏教会のルンビニー遺跡発掘調査に参画した。ルンビニーは「印石」の発掘によって一九九七年に「仏陀の生誕地ルンビニー」として世界文化遺産に登録され、ティラウラコットは「カピラ城跡の有力な比定遺跡」として膾炙されるに至っている。
   仏教考古学の原点の調査に参画する僥倖に恵まれた私にとって、仏教を考古学の方法により考える"仏教考古学"体系の整備と喧伝こそ石田先生から相承された一つの任務と理解するに至った。
   二〇〇三年に刊行した『仏教考古学事典』は、石田先生の体系を踏まえて編集した一つの実践であったと言えよう。

(H20.7.8〜

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このページの最終更新日 2008年07月15日