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  時感断想 − 第56回

 1、    向きあう (1)        死から目をそらす僧侶


高橋卓志

1、向きあう (1)
死から目をそらす僧侶

2、向きあう (2)
「共生」似合わぬ快適生活

3、向き合う―世襲
「精進」消え安易さ助長

4、向き合う―有用感
「寺が、変わる」出発点に






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   映画「おくりびと」の中にこんなシーンがある。喪家に、時間通りに到着できなかった納棺師の主人公が、神経質そうな喪主から「死んだ人間を食い物にして、金を稼いでいるくせに」と激しくなじられる、という……。
   この映画には、死を扱う者の「穢らわしさ」に対して、侮蔑的な言葉を投げつける何人もの人々が登場する。「おくりびと」の原作となった『納棺夫日記』の著者、青木新門さんは「職業に貴賎はない。いくらそう思っても、死そのものをタブー視する現実があるかぎり、納棺夫や火葬夫は無残である」と書いている。
   先の映画のように「死んだ人間を食い物にして、金を稼いでいる」と、直接、言葉に出す人は少ないが、これは、悲しみの中で葬儀を出さねばならない人々が、死を扱う人々に対して、少なからず持つ感覚であり、死をタブー視する社会の背後には、常にこの言葉が存在している。その意味においては、お坊さんも「無残」だということになる。
   しかし、青木さんは、火葬場の人や葬儀屋さんやお坊さんと会っているうちに、彼らが「無残」に至る致命的な問題があることに気付く。それは「(彼らが)死というものと常に向かい合っていながら、死から目をそらして仕事をしている」ということだったのだ。
   このことは、私にとってみれば、中学生のとき「お前の家は人が死んだら儲かる」と級友に言われたことと重なり合う。その言葉から逃れられず、お坊さんという職業を卑下し、劣等感を抱きながら流れに任せ、金銭的な割り切りをし、死から目をそらしながら、死者たちといいかげんに付き合っていた。そのことを、青木さんはズバリと指摘しているのだ。
   この意識から抜け出すことは容易ではなかった。しかし、自ら、苦の中に飛び込み、苦を持つ人々の視線に射抜かれ、真正面から「いのち」や苦と向き合ったとき、私は逃げ場を失うと同時に、私の意識や行動が一変するのを感じた。

(H21.6.23〜H21.7.14)

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このページの最終更新日 2009年07月14日