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| 時感断想 − 第65回 |
1、 個人の宗教性 教団の姿が見えない
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宗教団体の姿が見えない。宗教団体離れが指摘されて久しいが、とにかく変である。 たとえば、これまでの学問成果によると、社会的価値観や社会構造が大きく変化し、社会的矛盾が大きくなると、新しい宗教団体への関心が高くなることになっている。 しかしながら、そうした現象は起きていない。 JGSS(日本総合社会調査)が平成十八年に行なった世論調査によると、日本人でいわゆる新宗教団体に所属しているのはわずかに三・八%で、もっとも多かったのは創価学会で二%だった。 昨年末に私が実施した「宗教団体への関与・認知・評価に関する世論調査」では、新宗教団体を「信頼できる」(「非常に信頼できる」と「まあまあ信頼できる」の合計)はわずかに四・八%であった。「信頼できない」(「あまり信頼できない」と「まったく信頼できない」の合計)は七割近かった。 今、さまざまな問題に悩み苦しむ人は、どこへ行くのだろうか。インターネットや雑誌で検索して、パワースポットにでも出かけるのだろうか。しかし、こうした宗教性は不安定で、多分に情報と消費に翻弄されている。 先日、聖地に向かって手を挙げてエネルギーをもらっている若い女性たちがいるという話を聞いた。著名な神社の井戸の水面の写真を携帯で撮るために五時間並ぶ熱心さは、いつまで続くのだろうか。 本来、宗教団体はもっとも凝縮した形で宗教性を保持しているはずである。構成メンバーは変わっても、教義や儀礼は組織や制度によって維持されていく。宗教性は安定した形で継続されていくのではないか。 個人の宗教性は、集団での宗教性なくして安定的に存続しえないのではないか。 |
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このページの最終更新日
2010年05月26日