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  時感断想 − 第67回

 1、   門戸を開く        修行のための共同体


河野太通

1、門戸を開く
修行のための共同体

2、ラブアン島の慰霊碑
「非戦平和」肝に銘じたい

3、戦争協力の懺悔
未来へ力強く歩むために

4、不殺生戒の意味
「自性霊妙」強く自覚を





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   妙心寺派の海外寺院であるリヨン近郊の碧巌山正法寺に新しく禅堂が完成し、私は導師に拝請されて先ごろフランスを訪れた。広く欧州各国から六十余人の居士・大姉が参加して、落慶法要とあわせて三日間の接心も行なった。
    正法寺住職のフレイ常慈和尚はもと建築研究家で、専門の研究から禅に関心を深め祥福僧堂に入門、無文老漢のもとで修行した。今はその弟子のフランス人が祥福寺掛搭七年目で、木村太邦老師の鉗鎚を受け、僧堂で直日も勤めている。
    岡山曹源寺の原田正道老師はやはり祥福僧堂出身で私の弟弟子だが、曹源寺では多くの外国人が修行をしていることで知られる。寺院子弟が多い日本人雲水を一括りにして少数の外国人修行者と簡単に比較することはできないが、彼らにとって修行は義務ではなく、僧侶という職業に就く資格を得るための階梯でもない、とはいえるだろう。
   イタリアで行なった坐禅会で「なぜ坐禅をするのか」と二十人ほどの参加者一人一人に聞いてみたことがある。キリスト教では善き人間になるためには神に祈るしかないが、仏教には善き人間になるための方法、システムがあるという主旨の答えが多かったと記憶する。
   私自身はかつて一禅僧として「東西霊性交流」に参加し、ヨーロッパのカトリック修道院に滞在したことがある。単純に理想化した言い方になるかもしれないが、修道院は生涯を修行に捧げた人々の共同体であると私の目には映った。
   祥福寺を退いて姫路の龍門寺に移った時、龍門寺の復興という目的も意識して大衆禅道場を開単したのは、宗門の基本的な専門道場制度とは別に、修行のための共同体の理念を実現できないか、と考えたためである。龍門寺大衆禅道場の亀鑑ではその理念を禅仏教の立場から述べている。
   まだ完全に軌道に乗った状況ではないが、年齢や様々な事情で道心があってもこれまでの宗門制度下では充分に対応できなかった人々のため、修行の門戸を開く意味をもつと考えている。
   日本臨済禅の根幹は専門道場で、海外での禅の指導も専門道場制度の存在が大前提にある。しかし、国内外を問わず、生涯修行を続ける居士大姉の姿から私たち自身が逆に刺激を受けるのも稀ではない。謙虚な姿勢で学ぶべきことは少なくないのである。(談)

(H22.07.06〜H22.08.03)

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このページの最終更新日 2010年08月05日