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  時感断想 − 第68回

 1、   臓器移植への見解        専門的議論超えた立場で


対本宗訓

1、臓器移植への見解
専門的議論超えた立場で

2、脳死への"違和感"
いのちに響き合う直感

3、「周死期学」の提唱
臨死者の目線で死を問う

4、「死とは何か」
臨死の人から学び蓄積





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   先月十七日から改正臓器移植法が本格施行され、マスコミでもさまざまな報道が続いています。
   私がかつて臨済宗一派の管長職にあるとき、「私はドナーカードを持たない」と表明して本紙にも取り上げられたのは今から十五年ほど前のことでした。
   当時はドナーカードを持たないことがそのまま臓器提供の意思がないことと結局の取り扱いは同じでしたが、今回の改正によって、積極的な拒否の意思表示がないかぎり、家族の了解があれば臓器提供がなされうるということなど、いくつかの大きな転換がありました。したがってこの私も、運転免許証の裏に臓器提供拒否を明示するか、もしくは家族の者に私の意思をより強く周知徹底しておかざるを得なくなってしまいました。
   宗門においても近年、現代社会に生起する諸問題に積極的に取り組もうとする動きが活発化してきたことは喜ばしいことです。ただし、脳死の問題も臓器移植の問題も、それぞれが大きなテーマですから、シンポジウムなどではよほど注意して議論を進行しませんと、論点がこれら二つのテーマの間を行ったり来たりしながら、たいていは時間切れで終わってしまうことが多いように感じます。
   私は以前、改正臓器移植法案の審議中に超党派議員の勉強会に招かれ、脳死と臓器移植の問題について宗教者としての見解をお話ししてきたことがあります。宗教者は医学や法律の専門的議論に深入りする必要はありませんし、「ではどうする」という対案を提示する責務もないというのが私の考えです。
   生老病死の生々しい現実に向き合いながらも、ここぞという時には、理非曲直の議論から超然とした立場で、諸々の葛藤を一刀両断して本質のところをズバリと指摘することこそが僧の役割です。そこがまさに脱俗・超俗を本分とする出家のはたらきであり、今そういった肚の坐った宗教者の声が求められているのです。

(H22.08.10〜H22.09.07)

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このページの最終更新日 2010年09月08日