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「宗教文化士」の意義

2007年9月29日付 中外日報(社説)

「臨床心理士」は日本心理臨床学会を中心に十六の学会が母体となって発足した民間の資格である。昭和六十三年に資格認定が始まって以来、昨年まで一万五千九十七人がこの資格を認定されている(日本臨床心理士資格認定協会のホームページによる)。国家の制度ではないが、有資格者がスクールカウンセラーに任用されるなど、社会的に広く認知された資格といえるだろう。

大学院修士課程修了レベルの資格で、同協会指定の大学院に在学中、臨床心理を実習すれば受験資格が与えられる。同協会によれば全国で百以上の大学院がその指定を受けているという。宗門校でも臨床心理学の専攻を設け、協会から指定を受けている大学が多いことは周知の通りだ。

社会学の分野では「社会調査士」という資格が日本社会学会を中心に創設され、すでに軌道に乗っている。日本宗教学会の学術大会でこの資格制度について報告した大村英昭関西学院大学教授によると、年間二千~二千五百人がこの資格を取得しているという。

これらが先行例になる、といって良いのだろう。日本宗教学会が今、井上順孝国学院大学教授を委員長とする専門委員会を設け、「宗教文化士(仮称)」の資格認定制度を検討している。大学で「宗教文化」として大きくひとくくりにできる宗教関連の講義を一定以上履修・単位取得した学生を対象に、同学会をはじめ複数の学会で設ける認定機関が資格を検定するという構想だ。

国際交流の活発化で、異なる宗教文化の伝統と接触する機会も増え、その中では宗教的背景を持つ戦争やテロといった深刻な問題領域に踏み込むケースもあり得る。多様な宗教文化の混在という、今や当たり前になった状況に対処できる知識の必要性はかなり広い範囲で理解されているだろう。

社会にそのようなニーズがある以上、「宗教文化士」の資格は、海外との交流がある現場で活躍しようという者にとって、取得して意味のある資格になる可能性を持つ。海外に限らず、国内でも観光産業などに従事する場合、肩書として有効だろう。

この構想には、もちろん他の側面もある。つまり、「宗教学」という学問が日本の大学制度の中で生き残れるか、といった切実な危機意識を背景としているように思われるのだ。社会のニーズというか、文科省の指導もあって、大学の学部学科改組改編はめまぐるしい。その流れの中で学生に人気のない宗教学の位置は安泰ではない。

余談だが、筆者の知人のある作家は学生時代、宗教学専攻に在籍したが、それを隠して今では西洋哲学中退と自称している。要するに、小説家の大学中退の経歴としても"カッコ悪い"のである。少なくとも一般企業の就職に有利な専攻では全くない。

しかし、先に述べたようなニーズが存在するならば、宗教学が非"実学"的なまま、「副専攻」的な形で活路を見いだせる、というのが前記学術大会での藤原聖子大正大学教授の分析だ。

さらに、「宗教文化士(仮称)」は、筆者の理解するところでは、教育基本法改訂で焦点の一つになった宗教教育のあり方に関する提案でもある。

宗教の情操教育は(宗門校などでは積極的に取り組むべきだが)政教分離の観点から公教育ではそもそも難しく、机上の空論になるか、危険な方向へ走る恐れをなしとしない。

しかし、宗教に関する知識の普及、宗教文化について初・中等教育などで教えられるだけの知識を持つ人材の育成は、「宗教」に対する偏見など日本の宗教をめぐる不幸な状況の改善には恐らく好ましい効果をもたらす。宗教についての知識をより多くの人が持つことは、気分としての宗教嫌い、宗教そのもののネガティブなイメージの転換を促す効果もある。

「宗教文化士」は宗教教育に関する実現可能で、実効性ある一提案だと思われるのだがどうだろうか。