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「ジェンダー」の正しい理解から

2007年11月8日付 中外日報(社説)

「ジェンダー理論が平和をつくる」という主張がある。「戦争は男がする」という前提があり、要するに命を育む女性の発言力が強い社会は、争いごとがあっても人間同士が殺し合う愚かしい選択はしないという趣旨のようだ。歴史上の戦争はすべて男の罪業かどうかという詮索はさておき、宗教界にも大いに関係する言説だ。

ただ「ジェンダー」の用語自体、もともとある種のなじみにくさを伴う。それは翻訳の混乱にも表われ、通常理解されている男女の「社会的性差」は誤訳で、「社会的、文化的な性のありよう」というのが本当の意味に近いという意見もある。男女差別と同義的に使われることに、よほど懸念があるらしい。

それに関連して最近「ジェンダーフリー」という言葉が政府の公用語から追放されたと聞く。本来は性別に関する社会的通念にとらわれないで、男女を問わず個々の生き方を自由に自己決定できる社会にしようという意味の言葉である。しかし、一部の急進的なフェミニズムの運動が日本の伝統や文化、夫婦観などと対立するという反発を呼び、「誤解を生む」と判断されたようだ。

「ジェンダー」の概念は女性の特性や権利だけを主張するものではないが、冒頭の引用に戻ると、紛争や戦争が絶えない現下の国際社会を望ましい方向に向かわせるため、抑制の効いた「ジェンダー理論」は大変重要だと考える。

例えば筆者がかかわっているあるNGO(非政府組織)は、「ジェンダー」が社会変革への原動力であるという観点から、ささやかながら幾つかの事業に取り組んでいる。その一つは、階層社会のネパールで貧困と差別に苦しむ最下層の女性たちのグループへの支援である。この事業では日本の被差別部落の女性たちと相互に交流する場もつくり、身近な体験を語り合うことで矛盾に満ちた社会への発言力を養う成果を期待している。

また中部太平洋のマーシャル諸島共和国では、米国の核実験に伴う補償金が逆に住民の生活の自立性を損なっている。この状況には、男性よりも異常出産などで「核」の怖さをよく知る被ばく女性たちのグループの方が問題意識を強く持っていることに着目し、彼女たちを通して生活スタイルの見直しと自らの文化や郷土への誇りを取り戻すプログラムを進めている。

そのほか、このNGOでは、国内外のさまざまな社会問題を「ジェンダー」の視点で考える講座も開いている。

こうした事業を通じて、開発途上国にしても日本にしても、世の不公正さとかひずみ、争いごとなどネガティブな問題が起これば、真っ先に不利益を被るのは女性であることを再認識する。そして女性たちがそのような理不尽さを生む社会の構造に目を開き、自覚的に行動すればより良い世界を築いていけるという確信にたどりつく。それを共有していくことが、NGOの事業の最終的な目標である。いわば女性の解放を目指す社会運動だが、長い目で見て平和につながる努力と信じている。事業に参加するのは当然女性が多く、そのエネルギーに多少なりとも将来への希望を感じ取ることはできる。

宗教は、NGOに比べてはるかに大きな社会的影響力を持つが「ジェンダー」というテーマに関しては、反対に随分消極的であるとみられてきた。ほとんどの宗教がおしなべて男性主導であり、筆者もどういうわけか、それに違和感を持たなかった。しかし、十月二十日付の本紙「女性のページ」で紹介された『ジェンダーで学ぶ宗教学』という本を読んで考えさせられた。同書の内容に立ち入るゆとりはないが、今なお信仰の違いがもとで世界に紛争が絶えないのは、宗教が男性の価値観中心で「ジェンダー」の視点に乏しいからではないのか、という示唆を与えられた。

諸宗教が対話によって平和を目指すというのなら、まず足元の問題にもっと目を向けなければいけないように思う。