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実が失われて虚となる時代

2007年11月15日付 中外日報(社説)

原油の値上がりが止まらない。それについては中国の原油需要が急増しているというような事情もあるけれど、投機が大きく関与している。値上がりは機関投資家の先物買いのせいだというのだが、その実質は投資ではなく投機である。貯蔵された石油が、消費されないまま所有者だけが変わり、そのたびに値上がりしてゆくという。需給関係だけによる値上がりではないから、いくら増産しても値下がりはしない、とは石油産出国の言い分である。

価格が右上がりになると見込まれる時は、投資の対象物を買っては値上がりを待ち、値上がりしたら買った物件を売って利潤を獲得し、この手法を繰り返す。これは一九八〇年代の日本の土地バブル、最近のアメリカでの低所得者向け住宅ローンと同じ構造である。ただ違うのは、石油の値上がりは土地や建物の場合のような天井が見えないことで、だからまだバブルの崩壊には至っていない。

かつては好・不景気の循環が問題となっていた。近ごろではバブルとその崩壊が経済を狂わせている。これは誠に象徴的な出来事だ。つまり富が特定の国と社会層に偏在しているのである。余ったカネで個人また機関投資家が活躍する。

商売とはカネをモノに変え、さらにモノをカネに変えて利潤を得ること、というのが通念だったが、最近では株券や証券の売買が増えている。カネを動かしてカネを増やすわけだ。その基礎にはモノがあるといっても、このような金融経済は実体経済から離れるばかりで、これがバブルのもとだろう。金融経済がいくら好況でも国民の生活は豊かにならないのである。

行く先はどうなるか。やはり石油が象徴的だ。経済の底辺を支える石油を吸い上げれば、やがて石油は枯渇する。石油はあと数十年しか持たないとは実は二十世紀の初め以来いわれてきたことで、資源の新たな発見が枯渇を遅らせていたのだが、そろそろ本当に先が見えてきたようだ。他方、石油を燃やせば二酸化炭素が増加する。これは地球温暖化のシナリオである。同様にカネがカネを吸い上げれば底辺が枯渇して購買力が減退する。要するに、実体経済から遊離した金融経済が過熱すればGDPは増えても国民生活は貧しくなるわけだ。実際、そうなりつつあるのは、誰の目にも明らかであろう。人類規模でいっても、一日一ドル以下で暮らしている貧しい人がいまだに相当数に達するのである。経済格差は大きくなるばかりだ。

経済だけではない。現代は情報化の時代だというが、過剰な情報が――宣伝も情報である――乱れ飛び、情報が情報を生んで、それがさらに言論の量を増大させる。その結果、いったい何が本当なのかつかめない状況になっている。

権力にしても、そもそも権力は国民の総意の代行であるはずなのだが、総意をどれだけ代表しているか分からないままで権力が行使される。権力は権力を強化するために権力を行使する。その代表が戦争である。戦争が人間を不幸にすることはもう充分以上に証明済みなのに、この世では戦争がやまない。

コトバがコトバを生み、カネがカネを生み、権力が権力を生んで、それが代表するはずの実体がかすんでゆく。十九世紀末はニヒルとデカダンスが文明を象徴する現象だった。二十世紀は暴力と戦争の時代だった。われわれの時代を何というか。"実"が失われて"虚"となった時代というべきか。

宗教は虚の代表のように見られている。それについては宗教の側にも責任がないわけではなかろう。世界中に虚という汚物が厚く堆積している。それをすべて流し去ったらどんなに気持がいいことか。

宗教は虚が虚を生むような単なる客引きをやってはいけない。本来無一物を証示すべきだろう。