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宗教者は宗教教育にどう貢献できるか?

2007年12月18日付 中外日報(社説)

宗教教育に関する議論は一般的、抽象的なものでなく、具体的な方法の提示が必要な段階に来ているという認識が少しずつ広まっているように見受けられる。八日午後に東京の大正大学で開催された(財)国際宗教研究所主催の公開シンポジウムも、そのことをうかがわせるものであった。

「宗教教育を宗教界はどうサポートできるのか」というテーマで開かれたこのシンポジウムの趣旨を読むと、次のような問いかけであったことが分かる。昨年、教育基本法の改定がなされ、宗教教育に関しても教育上尊重されるべきことに「宗教に関する一般的な教養」がつけ加わった。こうした昨今の状況の中で、もし公立の学校が今よりも積極的に宗教教育の導入を検討した場合に、宗教界としてはどのような対応が可能かということである。

シンポジウムは神社神道、仏教宗派、キリスト教、新宗教教団の関係者がそれぞれ一人ずつ発題し、これに研究者がコメントして議論を展開させるという形式であった。宗教関係者ということではあったが、それぞれの宗教、教団を代表するものではなく、あくまで個人的な立場から意見が述べられた。しかし、そこからは当然、現在の宗教界がこの問題に対してどのような状況にあるかがうかがえるものとなり、興味深く感じられた。

これまで宗教界からは宗教教育をもっと積極的に推進すべきであるという主張が出されているが、その場合には宗教情操教育に主眼を置いてきたことが分かる。しかしながら、公立の学校で宗教情操教育はそもそも可能なのであろうかという点の検討は煮詰められているとは言い難い。特に宗教界が主張するような宗教教育が、公立学校の教師や生徒たちの親から受け入れられるものであるかどうかについて、現状に即して真剣に議論を重ねるという例はほとんど見られない。あくまで宗教者の立場からの主張ということにとどまるものが大半である。

シンポジウムのコメンテーターからは、宗教者がどのような面で教育に協力できるかを、例えばネットを通して明らかにしていってはどうか、というかなり具体的な問題提起があった。そうしたネット情報がほとんどないことを踏まえた上での意見である。宗教者の側から宗教教育に貢献できそうな事柄について、ネット上である程度備えをしておくというような視点が、これまでほとんど見当たらないことは事実であるが、今後どうなるであろうか。

会場からは、公教育における宗教教育に宗教界がかかわることは控えた方がいいのではないかという趣旨の発言も複数あった。またもしかかわるとしたら、宗教文化教育に限られるのではないかという別の発言もあった。さらに宗教家の宗教文化教育こそ必要ではないかという厳しい意見も出された。

つまり、宗教界が公立学校における宗教教育にかかわること自体への疑問や、もしかかわるのであれば、それ相応の準備が必要ではないかという意見が存在するわけであって、こうした点をどう考えるかは、今後宗教界に突きつけられている大きな課題である。

無論、公立の学校における教育からは距離を置くというのも、一つの立場であろう。あるいは一つの姿勢としては、自分たちの信念に従った場を用意しておき、学校の側がそうした場に生徒たちを触れさせたいと思った時だけ受け入れるという立場もありうる。臨済宗僧侶の発題からはそのようなスタンスに近い立場の表明があった。

積極的に教育問題に取り組んでも、それが一般社会にとってはむしろ警戒されるような形になっては好ましくない。ある宗教の信者であり、かつ教員でもあるという人たちがネットワークを形成している例も紹介された。神社神道や立正佼成会である。これが内向きの試みになるか、他の教員も関心を寄せる試みになるかは、宗教にかかわりがないと思っている人たちとどのような具体的接点が可能かを、一つ一つ地道に考えることにかかっている。