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時代の危機意識

2007年12月22日付 中外日報(社説)

世界の主要な宗教は、この世の終わりを説く。仏教でいう末世、末法がそれである。

古代イスラエルのユダヤ教にすでに終末思想が認められる。終末史観は歴史的にみてキリスト教神学の重要な一分野で、初期キリスト教ではこの世の終わりにイエス・キリストが再臨するという信仰を説く。最後の審判がそれであって、世の終わりに人類は神によって裁かれる。

つまり、千年王国の後にイエス・キリストが再臨し、死者は復活して人類の裁きがおこなわれる。そして善人は永遠の至福を受け、悪人は永久の刑罰に処せられるというのである。

インドのヒンドゥー教では、宇宙年紀(ユガ)を説いている。第一期、クリタ期は純善の世紀。第二期、トレーター期は神々の世紀で三千年継続する。第三期は宇宙の世紀で二千年続く。第四期、カリ期とは宇宙の年紀の終末(ユガ・クシャ)で、漢訳語は悪世、末世。軋轢、争闘が継続する最悪の時代である。この年紀が終焉を迎えると、宇宙は破滅してクリタ期が復活する。以下、宇宙の輪廻が永遠に反覆する。

仏教では正・像・末の三時を説く。正法の時代が五百年、像法の時代が一千年、末法の時代が一万年である(年代区分については別説あり)。正法の時代は正しい仏教が実践されている時期。像法の時代は仏像の造顕・伽藍建立、写経・読経が盛んになる。しかしながら内容のある正しい実践的な仏教は衰微する。

末法の時代はわが国では平安中期の永承七年(一〇五二)が、その第一年だということになっている。『衆聖点記』による計算である。末法を予告した最澄の『末法灯明記』や末法の時代を慨嘆した親鸞の『正像末和讃』などもある。

鎌倉仏教が興起した遠因には末法の危機意識があったことであろう。だが、その危機意識を反転させて正法の再興を期待したのが、空海、覚鑁、道元ら各宗祖師の教説であったことを忘れてはならないだろう。

さて、末法が終末になると、もはや教えすら聞かれなくなり、いわゆる法滅の時を迎える。その時期の世の中を予言したのが『法滅尽経』である。この経典を読むと現代の世相とあまりにもよく重なり合うことに慄然とせざるを得ない。

親鸞は末法を五濁(ごじょく)悪世の時代だといった。五濁は末世における遁(のが)れがたい濁りで、濁った世の中における次の五つの特徴のことである。

(1)劫濁=時代的な環境社会の濁り。戦争や飢餓、疫病などが多くなる。(2)見濁=思想の濁り、思想の乱れ。よこしまな想念がはびこる。(3)煩悩濁=むさぼり、怒り、おろかさの三毒煩悩が燃えさかる人間のあさましさをあらわす。悪徳が栄える。(4)衆生濁=人間の濁り、すなわち人びとの資質の低下。心がにぶく体が脆弱で苦しみが多い。(5)命濁=寿命が短くなり、最後には平均寿命十歳くらいになる。

『阿弥陀経』に五濁増とあるように、これらは当初は盛んではなく希薄な状態から、時代とともに次第に熾烈な様相を呈してくる。

五濁悪世は『倶舎論』や『法華経』をはじめ浄土経典の『無量寿経』、密教の『潅頂経』『八仏名号経』『八吉祥神咒経』などに広く見える。

一方また、仏滅後五十六億七千万年にして弥勒仏の出現による一切衆生の済度もある。

五濁悪世を現代社会に照応してみよう。

(1)劫濁。二十世紀は戦争と革命の時代で、二十一世紀に入っても、戦乱と民族紛争・宗教対立による内戦が続く。またアフリカなどの難民飢餓、エイズその他の疫病、自然環境の破壊などがある。

(2)見濁。倫理道徳の崩壊、哲学の不在、宗教の喪失。

(3)煩悩濁。欲望の限りない肥大化。金銭感覚の麻痺。

(4)衆生濁。べたべたと道路に坐り込む若者の姿が象徴する時代相。社会福祉や弱者の養護がますます不足する。

(5)命濁。これは経説とは逆に、長寿社会化の過程をたどりつつある。だが、社会は幼稚化し、大人と子供の見境がつきにくくなってきている。命濁は長い将来どうなるか不明。

暗い展望ばかり述べてきたが、しかし、転禍為福(禍を転じて福となす)という言葉もある。要は末法の危機意識を自覚して、いかに克服していくかということではなかろうか。

そして、これは人類が背負った最も重い課題だといわなければならない。