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社会に開かれた宗教

2008年1月3日付 中外日報(社説)

宗教に対する信頼性が必ずしも高いといえないのが、昨今の日本社会のいつわらざる現状である。これはどうやって改善できるのであろうか。適切とはいえないマスコミの報道姿勢があったら是正を求めるなど、社会の側に訴えていくべき課題もあるが、宗教界が自ら心がけて改善すべき点もあるはずである。

その一つとして、宗教をもっと社会に開くということが検討されてもいいのではないだろうか。社会に開くという内容は、具体的に考えていけば、いろいろな局面がある。ただちに空間的な開放性ということが連想されるのだが、実は神社や寺院は比較的社会に開放された空間構造になっている場合が多い。神社やお寺の境内が、事実上子どもの遊び場になっている例はけっこうある。また建物も開放的な造りが多い。

こうした宗教施設の空間的開放性は、社会に安心感を与える。それぞれの地域の条件によって、あまり開放的にできない場合もあるが、大半が開放的であれば、その宗教自体も開放的なイメージを人々に与えるものである。

キリスト教会も比較的開放的といえるが、新宗教の中には敷地に一般の人が足を踏み入れられないようにしている教団も一部にだがある。信者以外には門を閉ざす構造は、防犯その他の理由で、やむを得ない場合もあろう。だが、近辺に住む人や、少しその宗教施設に関心を抱いたような人にとって、空間の閉鎖性は、その宗教自体が閉鎖的であるというイメージを導きやすくなる。

この境内や宗教施設の物理的な開放性は、一般の人々の利用への開放という面に話が進む。単に境内が開放的な構造になっているというだけでなく、一部の施設を例えば公共の福祉につながるなら開放していくという、もっと積極的な開放の側面も検討されていいだろう。

実際に、神社の社務所を"プレイセンター"の活動に提供している例もある。プレイセンターというのは、ニュージーランドで生まれた発想で、親が仲間とともに様々な技術や知識を身につけながら子育てを行なえ、親も子も成長できるようにという発想である。

神社がやっているのは、これを日本で取り入れて実践しているグループへの開放である。この神社の場合、普段は神職が不在であるので、社務所を利用することができる。しかし関係者が常住した施設であっても、似たような試みは充分可能である。

宗教施設にとっては、いろいろな面での社会への開放性を追求するとき、公的な機関へのサービスという形は法的に問題が生じやすいのだが、民間のボランティア団体やNPOなどの団体であるなら問題は少ない。むろん、安全性を考慮したり、事故があったときの責任の所在をあらかじめ明確にしておくなどの事前の準備は必要である。

さらにまた、教団の中には積極的にボランティア活動、福祉活動、募金活動などを推進しているところがある。そうして集まったお金を、教団としてユニセフとか、福祉団体、あるいは公的機関に寄付している例もある。こうした活動に関してもまた開放性ということを検討できる。つまり、教団関係者だけでなく、社会の人とともに行なえるようなボランティアや福祉活動などを増やしていくという考え方である。

これもいきなり一般の人々とともに、というのは困難かもしれないが、社会福祉などを目的とするNPO団体との連携ならば、可能性は高い。そういう団体の中には、宗教団体からの支援を期待しているところもある。

社会との接点が様々に広がることは、長い目で見て、その宗教への信頼性、ひいては宗教全体の信頼性を増していくことにつながるはずである。小規模であっても、具体的な試みが各地で広がることを願うものである。