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さまざまの「三楽」

2008年2月23日付 中外日報(社説)

例えば『論語』季氏篇。そこには「益者三友、損者三友(よい友だちは三種類、悪い友だちは三種類)」とあるのに続いて、人間にとってプラスになる三楽とマイナスになる三楽とを「益者三楽、損者三楽」と表現し、「益者三楽」を「礼楽を節すること(文化を代表する礼楽に行動の節度を合致させること)」「人の善を道(い)うこと」「賢友の多きこと」と数え、「損者三楽」を「驕楽(傲慢)」「佚遊(安逸)」「宴楽(贅沢)」と数えている。

あるいはまた『孟子』尽心篇。「君子に三楽有るも天下に王たることは与(あずか)り存せず」、天下の王者となることは「三楽」とはまったく無縁、そのように切り出した上で、「三楽」が次のように数えられている。

「父母倶(とも)に存(いま)して兄弟にも故(こと)なきこと」、すなわち家族の無事が一楽、「仰いでは天に愧(は)じず、俯しては人に●(は)じざること」、すなわち天から咎めだてされることもなく、誰からも後ろ指を指されることのない自己の道徳的完成が二楽、「天下の英才を得て之を教育すること」、すなわち後進の教育が三楽。そして再度、「君子に三楽有るも天下に王たるは与り存せず」と繰り返し念が押されている。

それらさまざまの「三楽」の中でもとりわけ秀逸とすべきは、『列子』天瑞篇に登場する栄啓期(えいけいき)のそれではあるまいか。次のような話である。

孔子が泰山に旅をした時のこと、鹿の皮衣をはおり、縄の帯をしめ、琴をかきならしながら、曠野の中でいかにも楽しげに歌っている栄啓期を見かけた。「先生は何がまたそんなに楽しいのかね」。孔子がそう尋ねると、栄啓期は答えた。

「わしの楽しみはとてもたくさんあるが、天が生んだ万物の中で人間こそが最も貴い。わしはその人間に生まれることができた。これが一楽である。人間には男女の別があり、男尊女卑のならわしでは男が貴いとされるが、わしはその男に生まれることができた。これが二楽である。人間の中にはお天道(てんと)さまも拝まずに赤ん坊のうちに死んでしまうやつがいるものだが、わしはすでに九十歳になる。これが三楽である。貧乏は男のさだめ、死は人生の終わり。さだめに安んじ終わりを全うできるなら、何をくよくよと思い悩むことがあろうか、というわけさ」

このうち"男尊女卑"は当時の思想だが、ともあれ「三楽」をこのように数えあげた栄啓期に共感した者は少なくなかったようである。例えば一九六○年のこと、南京市の南の郊外の西善橋においておよそ千五百年前の墳墓の磚画(せんが)が発見されたのだが、そこには磚すなわち墓室を組むレンガに八人の人物像が刻まれていた。

題記が示すように、康(けいこう)、阮籍(げんせき)、山涛(さんとう)、王戎(おうじゅう)、阮咸(げんかん)、劉霊(りゅうれい)、向秀(しょうしゅう)、それに栄啓期の八人である。康から向秀までの七人は、三世紀の魏晋の時代に存分に自己主張をして生きた自由人のグループ、すなわちいわゆる「竹林の七賢」である。

このように「竹林の七賢」をメーン・テーマとする磚画であるにもかかわらず、そこにただ一人の例外としてはるか昔の栄啓期が加えられているのは、「竹林の七賢」にとって栄啓期が好ましい人物として共感を呼んだからに違いない。

例えば「竹林の七賢」の中でもリーダー格の康は、古来の高潔な人物百十九人の伝記を集成する『聖賢高士伝賛』に栄啓期を取り上げて『列子』天瑞篇と同じ話を記しているほか、文学作品の「琴の賦」にも、栄啓期を漢代の隠者の綺里季(きりき)とならべて、「世を遯(のが)れし士(おのこ)の栄(啓)期と綺(里)季の疇(ともがら)は、乃ち相い与(とも)に飛(たか)き梁(はし)に登り、幽(ひそ)める壑(たに)を越え……」とうたっている。

また阮籍も蒋済(しょうせい)なる人物からの出仕の誘いを断わる書状に、「昔、栄(啓)期は索(なわ)を帯にし、仲尼(ちゅうじ。孔子)も其の三楽を易(あらた)めず」と述べている。

さて皆さんは何を三楽と数えられるのであろうか。

●=立心偏に乍