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日本史必修化の前提となるもの

2008年2月28日付 中外日報(社説)

神奈川県教育委員会が、高校の日本史を必修科目にするという。現在の学習指導要領では、日本史は選択科目だが、同県では平成二十五年度(二〇一三)までに、全部の県立高校で必修とする。「国際社会で主体的に生きていくには、自国の歴史を学ぶ必要がある」と引地孝一教育長は語り、松沢成文知事も「必修化によって愛国心や郷土愛がはぐくまれる」と県教委を支持している。

いいことだ。世界史が必修科目なのに、日本史は学ばなくても高校を卒業できるというのはおかしい。ほかの都道府県もこれに倣うべきだ、と思いながら、手元にある高校用日本史の教科書を開いてみて、考え込んでしまった。これでいいのだろうか、と。

何しろ、教科書が面白くないのだ。事件や人名など固有名詞がぎっしり詰め込まれていて、読み物の体を成していない。写真や図版をあしらって、見た目には美しいけれど、目が流れてしまう。教科書を作る側としては、あの項目もこの項目も入れておかないと検定にパスしないとの配慮があるのだろうが、読まされる側は、たまったものではないだろう。それほどに、退屈な記述である。

年代表記も「鳴くよ(七九四)うぐいす平安京」とか「いい国(一一九二)つくろう鎌倉幕府」など、覚えやすい語呂合わせのある事項はよいが、そうでない項目をすべて頭に詰め込むのは大変だ。恐らく、ほかの出版社の教科書も大同小異だろうし、世界史や地理の教科書も、似た事情にあるのではないか。

本来、歴史は面白いものである。吉川英治の『宮本武蔵』の中で、武蔵が弟子の伊織に、源平の物語を語り聞かせる場面がある。牛若丸が成長して源義経となり、平家を相手に活躍するくだりを聞いた伊織は「おら、義経が好きだ」と言って立ち上がる。

実はこのような場面は、戦前の多くの家庭でも見られた。祖父母や父母が幼い子どもに、牛若丸や木下藤吉郎の物語を聞かせると、子どもは目を輝かせてその話を受け止めた。時にはナポレオンやナイチンゲールが語られることもあった。そして少年雑誌や少女雑誌にも、それにまつわる話題が連載されていた。

明治時代の少年雑誌の小説に、主人公の少年が、友人から『西国立志編』を読んだと告げられる場面がある。英国のスマイルズという作家が著わした偉人列伝の邦訳である。主人公は、『日本外史』とどちらが面白いか、と聞く。「そりゃあ『西国立志編』に決まっているよ」と友人の答え。読者は、自分もその本を読んでみたい、と思ったことであろう。

戦前の歴史教育は、読書から得られたこうした知識の上に積み重ねられたから面白かったのだ。当時の歴史教育は、皇国史観に支配され、武士や英雄の"国盗り物語"が多く、庶民の歴史や女性史が軽視されたから、手放しで称賛することはできないが、今のような詰め込み的要素の濃い教科ではなかった。

今の児童・生徒はあまり本を読まず、暇があればメールやゲームに熱中している。たまにテレビで時代劇ドラマを見れば、織田信長が自ら今川義元を銃撃するというとんでもないストーリーが飛び出す。こうした時代に、日本史を必修化しただけで「国際社会で主体的に生きていく」国民が育成できるかどうか。

本を読む習慣を根づかせよう。例えば赤穂浪士の物語を読めば、当時の幕藩体制とか、士農工商の制度、東海道の交通事情などの理解を深めることができる。その上で日本史の教科書を手にすれば、学習効果も上がるだろう。

筆者の時代、国史は皇紀二千六百年で、仏教伝来は「一二一二と渡来した」と教えられた。西暦でいう五五二年渡来説である。現在の西暦一二一二年は、法然上人の没年とされる。