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国旗・国歌考

2008年3月29日付 中外日報(社説)

国旗・国歌は、国家の存在を象徴するものとして世界各国で用いている。国家存在の象徴である以上、国旗・国歌はその国の国威と尊厳性とを表現したものであることは言うまでもないであろう。

オリンピックで入賞した選手が表彰台に立つと国旗を掲揚し国歌を吹奏するのは、国威の発揚を顕彰するためである。あるいは一国の元首を歓迎するとき、その国の国旗を振るのも、国威への敬意を表するためである。逆に、国際的な問題で抗議デモをするときなどに国旗を焼却したり踏みつけるのは、その国の存在自体を否定することを意味する。

こうした事例は国旗の尊厳性を世界では暗黙裡に認知しているからである。国旗に準じて国歌も当然のことながら敬意が払われてしかるべきであろう。

さて、わが国であるが、ひところ国旗・国歌廃止論があった。アジア・太平洋戦争は侵略戦争であり、その戦争での国威宣揚に絶対的に威力を発揮したのが「日の丸」の旗と「君が代」の国歌だったからだ、というようなことが理由だった。もっとも、奇妙な話ではあるが、廃止論者から国旗・国家の代替案が出された話は聞かない。

「日の丸」の起源は寛文十三年(一六七三)、江戸幕府が御城米廻船に船印(ふなじるし)として「日の丸」の幟(のぼり)を掲揚するように指示したことにさかのぼる。安政元年(一八五四)になって、幕府は「日の丸」幟を日本惣船印に制定した。

安政五年(一八五八)に調印した日米修好通商条約の批准書交換のため、二年後に渡米した使節団一行は、ニューヨークのブロードウェーで日の丸と星条旗を掲げて迎えられている。日の丸がわが国の国旗として国の内外に承認された始まりであろう。

昭和二十年(一九四五)八月の敗戦直後、GHQの方針で国旗掲揚は許可が必要となる。だが、二十二年十二月にはGHQ覚書で国民の祝祭日に国旗を掲揚する制限はなくなった。越えて二十三年には国民の祝日には学校、家庭などで国旗を掲揚するのを勧奨している(天野貞祐文相の談話)。

同年、日本国憲法のもとに戦前の旧制の祝祭日を廃止して国民の祝日が制定された。その祝日は憲法によらずに「国民の祝日に関する法律」で規定した。ちなみに憲法で国旗を規定するのはフランス・ドイツ・イタリア・中国であり、イギリスは一八〇一年の国王の詔勅で明記してある。わが国は憲法には明記しない。

「君が代」の歌詞は延喜五年(九〇五)に編纂した『古今和歌集』賀巻に「わが君は」とある読み人知らずの一首で、平安末期ごろから「君が代は」として流布した。「わが君」は二人称である。が、「君が代」の君が二人称であるのか君主なのか、解釈は微妙だ。新憲法のもとでは、君主は象徴天皇である。

国歌の制定は世界の約二百に及ぶいかなる国家でも明記されず、慣行によって歌われている。わが国も前掲の法律では国民の休日を規定しただけで国旗・国歌には一切触れていない。法的な規制はないので慣行を尊重して国旗掲揚、国歌斉唱が行なわれるのが望ましい、ということは言えよう。

「君が代」の法制化問題については、反対三八%、賛成三四%、どちらでもない二八%というアンケート調査結果(平成十一年三月二日、フジテレビ「ニュースJAPAN世論調査」)がある。この比率は今もあまり変わらないのでないか。

ところで、国旗掲揚、特に国歌斉唱に反対した教師の職務命令違反による処分は、後を絶たない。慣行による限り、強権の発動による処分はいかがなものであろう。

現実に立ち返ってみると、国民の祝日に国旗を掲げて祝う家庭はあまり見当たらない。日常、国歌の斉唱や吹奏に接するのは大相撲の千秋楽など機会は限られている。祖国愛や愛国はすっかり死語になった。それもまた、寂しい限りである。