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花まつりを寿ぐ

2008年4月5日付 中外日報(社説)

文明の「進化」は人類が長らく抱いてきた"常識"であった。ところが、科学技術の日進月歩とともに、一方で、地球環境が徐々に悪化しているという警告が厳しく展開されている。

科学文明の恩恵に酔いしれていた時代は過ぎ、今後ますます心の内なる世界、「人間そのもの」の探求ということが課題として重視されることになるのではないか。それは科学的な権威をまとった立場・視角からよりも、むしろ生きている自己そのものとの対峙、死の絶対性の直視、あるいは当たり前の身体に内蔵される不思議な世界の実感といった形で展開されるかもしれない。

そして、大河を知るためには、その根源にさかのぼることが大切なように、孔子や釈尊やイエスやマホメットといった大聖者の存在が、今後ますます人類文化にとって大きな存在として確認され、その教えの意義が問われていくことであろう。

中でも、釈尊によって開かれた仏教は、インド・中央アジア・中国・朝鮮半島を経て、日本に渡り、日本人の感性や生き方、そして広く精神文化の基本を形成してきた。だが、独特の感性からか、日本人はあらゆる文化を吸収し、貪欲にすべてを消化していく。

聖徳太子の時代から、仏教を文化の中枢としつつ、巧みに隣国から流行文化を吸収してきたすさまじさにはあらためて驚かされる。こうした日本文化の基本的性格は今日に至るまで継続し、明治維新前後からは一転して西欧文明を咀嚼し、日本化するパワーに転じ、さらに第二次大戦後は、アメリカの被保護国さながらに、米国文化一辺倒となったわけである。

ブッダ釈尊を敬慕する仏誕会は、南伝仏教ではウエーサカ祭として五月に実施されるようだが、日本ではあたかも桜花爛漫、花々が咲き乱れる季節に「花まつり」として行なわれる。「花まつり」が賑やかに展開されるようになった背景には、花を愛でる民俗が横たわっているとも聞く。精神文化の根源に思いをいたす仏誕会を「花咲き匂う 春八日」と歌われる感覚に転化させていったのが、日本人的感性といえようか。

白象に載る誕生仏を花々で飾り、心からの帰依をあらわす「花まつり」の華やかさ、晴れがましさを大切にすると同時に、そこからさらに進んで、ブッダ御誕生の人類史的意義を多くの人々とともに考えるひとときをぜひ持ちたいものである。

国際連合の第三代事務総長になったビルマ(ミャンマー)のウ・タント氏は自身も仏教徒であったが、ネパールに赴いて、ブッダ生誕の聖地ルンビニーが荒れ放題になっている現状に驚き、聖地の整備計画を提案し、賛成を得て復興事業を推進したという。

その後の聖地復興事業には日本が参加し、考古学的な面でも新たな発見など成果が報道されてきた。この復興支援が、全日本仏教会を通じて日本仏教徒全体の願いとして進められてきた意義を、今年の花まつりに際してもう一度思い起こしてみたい。

宗派仏教が成立するその根源には釈尊の教えがある。まず、われわれ仏教者自身が宗派を超えて釈尊への崇敬の思いを新たにし、その教えの意義を現代の社会・文化の中に自覚的に位置づける努力をするべきだろう。

釈尊の教えは平和、環境など現代の諸問題を解決する方向を指し示している。仏教こそ閉塞的状況に陥った現代文明を救う道である、とわれわれは信じる。釈尊の御生誕をお祝いする花まつりという華やかな行事に、このような重大なメッセージも込められていることを、あらためて考えたいと思うのである。