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「ゆでガエル」にならないうちに

2008年4月19日付 中外日報(社説)

靖国神社の遊就館の展示に、先の大戦を肯定する思想が見えるという根強い批判がある。A級戦犯を靖国神社が合祀したのも、勝者連合国が敗者日本の指導者を裁いた東京裁判を拒否する意図だったとされる。小泉純一郎元首相の公式参拝には近隣諸国の厳しい抗議があった。

「靖国」は日本の歴史認識問題も絡んで常に熱い論争を呼び、政治・外交問題化する。戦死者の慰霊のあり方をめぐり、戦後六十三年を経てなお対立と混乱が続く国は世界に例を見ないだろう。誠に不幸なことである。

その対立と混乱が、映画界で表現の自由にかかわる論争に発展した。ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」を四月十二日に封切る予定だった映画館五館が、上映を中止した問題だ。筆者はまだこの作品を見ておらず、その芸術性や、一部右派メディアが主張する「反日映画」かどうかを述べる資格はない。ただ、抗議を恐れて上映を自主規制してしまう事なかれ主義のまん延は看過できない。「ゆでガエル」にまた少し近づいているような時代の雰囲気を感じる。

じわじわと進む周囲の環境の変化に鈍感だと、気がついた時には手遅れという例えが「ゆでガエル」理論だが、表現の自由が絡む昨今の思潮にその危惧を持つのは、戦前の苦い体験があるからだ。

戦前・戦中の新聞が戦争遂行に全面協力し「鬼畜米英」を唱和するようになるまでに長い前史があった。さまざまな出来事を経て、少しずつ言論統制が進行した。右翼による新聞へのテロもあった。そうした積み重ねで言論が徐々に絞め上げられ、最後は軍部の言いなりの記事しか書けなくなった。

戦争を知らない今の若い世代に、直接の戦争責任はない。しかし表現の自由に鈍感だと「戦前責任」が生じてしまう。

筆者が兵庫県西宮市で記者活動をしていた時に朝日新聞阪神支局襲撃事件があり、若い記者が命を絶たれた。一九八七年五月三日の憲法記念日だった。「反日分子を処刑する」と犯行声明を出した「赤報隊」の正体は不明のまま、その前後も含めた一連の事件はすべて時効になった。襲撃事件の直後、右翼の街宣車が何台も大音量で軍歌を流し、目の前を行き来した。間もなく二十一年だが、あの事件は何だったのか、今も時折考え込む。

「靖国 YASUKUNI」に戻って、報道によると映画は、八月十五日の靖国神社境内で繰り広げられる風景をポイントに靖国の魂と日本人の心情に迫ろうと試みた作品だという。しかし一部週刊誌が「反日的」な映画の製作に文化庁所管の日本芸術文化振興会が七百五十万円の助成金を出したことを批判、自民党国会議員の一部が動き、全国会議員への試写会を開くなど論争が広がった。

この映画を十年かけて撮影したという李纓(リ・イン)監督のインタビューが月刊誌『世界』五月号に掲載されている。李監督は、旧日本軍の軍服を着た靖国参拝者について「会話してみるとみんな平和を愛するという普通の日本人。しかし歴史観を語ると東京裁判を認めない、戦犯など存在しないと言い、靖国に参拝するのは祖先に尊敬の念を表わすためと主張する」と語っている。日本人の平和観とか歴史観に、中国人として持つ違和感を表明したものだろう。

監督はまた「軍服の人々と会話できる柔らかい雰囲気は小泉参拝で一変し、急激にナショナリスティックな場所に変わった」とも言っている。

今度の上映中止の背景に監督が感じるような社会の深いところで進行する潮流の変化があるなら、事態はより深刻である。

幸い、五月以降予定通り上映する映画館があると聞く。今後の動きを見守っていきたい。