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教授が推進するヘンロ小屋建設

2008年5月22日付 中外日報(社説)

阪神・淡路大震災の年、平成七年に五百人。十一年後の同十八年には四千人。四国八十八ヵ所を"歩き"で回った遍路の概数である。今年はさらに増えるだろう。その四国の遍路みち沿いに「ヘンロ小屋」を八十八ヵ所プラス一ヵ所建てようと発願した人がいた。建築家で近畿大学教授の、歌一洋さん(60)である。

歌教授は徳島県南部の海陽町生まれ。生家のそばを遍路みちが通り、四国霊場巡拝の人々に"お接待"する両親の姿を見ながら育った。社会的に安定した地位を得た今、何か世の中に御恩返しする道はないか。一周千二百キロとも千四百キロともいわれる"お四国"の道を歩き抜くお遍路さんが、疲れた足を伸ばして休むことのできる「ヘンロ小屋」を札所とほぼ同数造ろう、と思い立った。平成十一年のことである。

どの小屋も同じ形にしたのでは芸がない。それぞれの土地柄にふさわしいデザインを考えた。徳島県には阿波おどりの菅笠、高知県には汐吹く鯨、愛媛県には闘牛場の円形スタンド、香川県には源平合戦の扇の的をかたどるものなど、多数の模型を作り、徳島市の徳島県立近代美術館で展示会を開いた。

その展示を見た高知市の建設会社副代表、沖野和賀子さんが、高知県用に作られた模型数点を借り出し、軽トラックに積んで持ち帰り、数ヵ所で建築の準備を始めた。同じ高知県西南部の幡多(はた)信用金庫もメセナ活動の一環として、かつての若者宿スタイルの小屋着工を決めた。

「高知県の人は、盛り上がるとすぐ実行に移しますね。沖野さんは、いわゆる"ハチキン"型の積極的な女性で『歌先生、もっと大胆に宣伝せんかね』と言いながら、ボランティアを集めて、テキパキと事を進めました」。当時の事情を知る元毎日新聞記者で大阪経法大学客員教授の梶川伸さんは言う。ほかの県でも協力者が次々と現われた。

歌教授の「ヘンロ小屋」構想は、まず数坪から十数坪の用地の提供を受け、建築費を寄付してもらい、ボランティアの労力で工事を進める。地元特産の竹を組み立て、五万円でできた小屋もある。逆に数百万円かかったところもある。女性のための水洗トイレを併設すると、水まわりの費用がかさむのだ。こうして現在までの七年間に、二十八ヵ所が完成した。だが今、計画は"胸つき八丁"にあるともいえる。

これまでの二十八ヵ所は比較的簡単に適地の提供が受けられた場所ばかりだ。しかし道路沿いの便利な場所の提供を受けるのは、意外に難しい。ねばり強く趣旨を説明して協力を求める必要がある。

そこへ、願ってもない援軍が現われた。「『四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト』を支援する会」が平成十八年に結成されたのだ。年会費三千円を拠出して、適地探しのための歌教授の行動費などに充てる。会長は、愛媛県出身で『花へんろ』の著者、早坂暁さんが選ばれたが、体調不良のため、元朝日新聞記者で日本エッセイスト・クラブ理事長、辰濃和男さんに代わった。辰濃さんは今、三周目の"歩き"遍路を続けている。

会員は約三百人。副会長の一人の梶川さんは四国各地の支局勤務経験があり、自転車で八十八ヵ所を巡拝したことがある。役員の一人、柴谷宗叔さんは元読売新聞記者で僧籍を持ち、関西先達会の役員だ。

梶川さんの場合、阪神・淡路大震災で六千余人の死を取材したことが、四国遍路に傾倒するきっかけとなった。今も巡拝バスツアーのガイド役として同乗し、参加者から死生観のからむ訴えを聞くことがある。昨今、遍路みちの周辺には、高度成長時代とは全く違う価値観がただよっているという。歌教授が推進する「ヘンロ小屋」構想が新しい意味での"お接待"の場になることを期待したい。