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安芸門徒の力でひろしまハウス

2008年5月31日付 中外日報(社説)

早稲田大学教授の建築学者、石山修武氏は、プノンペンに建設した四階建ての「ひろしまハウス」を、斜め張りの柱で支える構造にした。全体的には、レンガを一つずつ積み上げるという、素朴な手法だ。平岡敬・前広島市長の言葉によると「ありふれた技術をもってヒロシマの思いを形にした」ものである。

広島市民をカンボジアと結びつけたのは、平成六年(一九九四)秋、広島市で第十二回アジア競技大会が開かれた時だった。当時の市長が平岡氏である。その前年に、二十年にわたる内戦が終わったばかりのカンボジアも、大会参加を強く希望したが、資金がない。

当時、国際オリンピック委員会(IOC)理事だった猪谷千春氏(現副会長)が「ガンバレ・カンボジアプロジェクト」を組織し、その広島支部長に主婦の國近京子さんを選んだ。國近さんはボランティア活動に熱心な"安芸門徒"の一人だった。

國近さんは、仲間十五人と五月の連休に平和大通で開かれるフラワーフェスティバルの会場で、一皿五百円のカレーライスを売って資金をつくり、少人数ながら選手招待を実現した。

アジア大会後、仲間は約六十人に増え「プノンペンに、カンボジアと広島の市民が交流できる会館を作ろう」という声が上がった。そのころ開かれた「広島未来大学」という市民講座の講師の一人に、石山氏が招かれた。「会館の設計は、ぜひ石山先生にお願いしよう」。石山氏は意気に感じて、タダで設計することを承知した。

「お好み焼き屋が開けるくらいの、ささやかな建物を」という注文に、石山氏は同意しなかった。「広島の名を冠する以上は、それに恥じないだけの大きさが必要だ」と。資金づくりのため平成八年、「ひろしまハウス(カンボジア王国)建設センター」が組織され、広島本部長には前年市長を退任した平岡氏、東京本部長には石山氏が就任した。募金活動は広島市民だけでなく、石山研究室の学生も協力した。

広島県も工費の一部を負担するなど、千三百万円を超す資金が集まり、プノンペンのウナローム寺院境内に平成十八年十一月、赤と白の横じま模様の「ひろしまハウス」が完成した。延べ床面積は約一、五〇〇平方メートル。平岡氏も五回ほど現地へ出向き、広島市民有志とともに「一個ずつ平和への思いをこめて」手ずからレンガを積み上げた。

完成後、周囲の景観と調和させるため、屋上にカンボジア・スタイルの屋根をかぶせるよう要請があり、石山氏はそれに応じて追加工事を監修した。最終的な完工は昨年四月だった。現地在住の日本人僧・渋井修和尚が工事の指導監督に協力した。残務整理を経て今年二月「建設センター」は解散、四月に機関誌の最終号が配布された。

平岡氏によると「ひろしまハウス」はグローバリズムや市場主義とは無縁の構造で、エスカレーターも冷暖房設備もない。自然の風がさわやかに吹き抜ける。「完成させるよりも、それまでの過程が大切だ」が石山氏の大方針だった。スタイルの奇抜さを誇りがちな一部建築家とは、対照的な姿勢である。

建設センターが解散した現在「ひろしまハウス」は國近さんたちの「ひろしま・カンボジア市民交流会」にゆだねられた。親のない子の生活を支え、若者と交流会を開き、展覧会や講習会を催すなど、この建物への期待は大きい。

國近さんは言う。「被爆から数年後、広島に建てられた『アメリカ文化センター』で、クッキーをいただきながら文化生活への夢を描いたことがあります。今度はその夢をカンボジアの方々にお伝えしたい。そのために、私たちの会を一日も早く、NPO組織にしたいと思います」。このハウスが十二分に活用されることを期待したい。