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龍馬の手紙から心遣いを学んだ

2008年9月23日付 中外日報(社説)

昨年九月一日の本欄で、朝日新聞に寄せられた投稿の要旨を紹介した。一人の母親からの訴えである。養護学校に通う中学二年生の娘が年度替わりに転勤した先生に、感謝の手紙を出した。身動きもままならぬ身で、一字一字に全身の力を振りしぼり、四十分かけて一通を書き上げた。しかし先生からは返事が届かぬまま、夏休みを迎えた――という内容だった。

ちょうど一年後の今年九月一日、毎日新聞の家庭欄に、これを裏返ししたような明るい内容の投稿が載った。幼稚園年少組に通う長男に、担任の先生からはがきが届いた。「夏休みに元気に遊んでいますか。次の登園日に、忘れ物をしないでね」と優しい言葉がつづられていた。

字の読めない長男は、投稿者である母親のAさんに何度も「お手紙読んで」とせがみ、繰り返し聞くうちに、暗唱できるまでになった。「お返事を書く」と言って便せんを開いたが、もちろん字は書けない。青い色鉛筆で何やら殴り書きをした。海へ行って楽しかったことを伝えたかったらしい。四つに折りたたみ、封筒に入れた。「幼稚園の先生に、気持のキャッチボールを教わりました」とAさんは記している。

その前日の産経新聞のコラムには、女性記者Bさんの手記が出た。大学生時代に、父母とともに神奈川県に住んでいたが、祖父が亡くなったので九州の郷里へ帰った。葬儀の式場に、東京の新聞記者Cさんから花が届いていた。なぜだろうと祖母に聞くと「おじいちゃんはCさんの署名入り記事を読んで感動したといってはがきを出し、それをきっかけに文通を始めたの」と答えた。一昔前の表現を使うと、二人はペンパル同士だったのだ。

BさんはC記者の名を心に刻み、連絡を取ってCさんが勤務する新聞社を訪れた。社内で"名物記者"と呼ばれるCさんは、定年間近とのことだった。祖父との文通のことだけでなく、文章の書き方、取材の苦心など聞くうち、自分も記者になりたいと思った。社は違うけれども、Bさんは記者になって、念願を果たした。祖父とC記者の文通の縁が、Bさんの進路を決めたことになる。

たまたま同じ日、読売新聞の地方版では、女性記者Dさんが「幕末の志士・坂本龍馬の手紙」について書いていた。博物館に展示された龍馬の手紙は土佐(高知県)に住むめい・春猪あてのものである(土佐ではごく最近まで、女性の名前に猪や虎などの字が用いられていた)。

京都の寺田屋事件の三日前の手紙の「長崎から外国製のおしろいを送ってあげる」との、細やかな心遣いの文面に感動した。

展示を取材したDさんはそれを機会に「急がない連絡ごとや礼状の場合、携帯メールを打つ手を止めて、悪筆をわびながら手紙を書くように心がけている。心遣いのテクニックを龍馬から学びたい=要旨」とのことだ。

これに呼応するかのように、九月十日の毎日新聞に主婦のEさんが「時を争う連絡以外は手紙を書こう」と題した投稿を寄せた。夫婦共働きでパート勤めをしていた時は、すべて電話で済ませていたが、夫が退職して年金生活に入った今年から、再び手紙派に戻ったという。

「新聞への投稿がきっかけで、書くこと、読んでもらうことの楽しさがよみがえった。週の半分は、辞書とルーペを片手に、手紙や投稿を書いている」とEさんは結んでいる。

筆者の知るある住職は、手紙への返事は必ず手紙、その手紙が手書きであれば返事も必ず手書きである。やむなくパソコンを使った場合は「パソコン印字で失礼します」と書き添える。昔ながらの手書きの温かさを知る人だ。この律儀さが檀信徒の信頼を得る一助となっている。手紙も教化の一つといえようか。