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万物平等を説いたある方術士の伝記

2008年10月28日付 中外日報(社説)

『晋書』芸術伝に伝記が備わる四世紀東晋の幸霊(こうれい)は、なかなか味のある人物である。

ここでいう芸術伝の「芸術」とは、今日のわれわれがその言葉によってイメージするものとはいささか異なり、むしろ技術ないしは技芸というのに近い。例えば『後漢書』伏湛伝に見える「芸術」の語に、「芸とは書(読み書き)、数(算数)、射(弓射の術)、御(馬車の操縦術)を謂い、術とは医方(医術)、卜筮(占術)を謂う」と注釈が施されている。幸霊もさまざまの方術を駆使することができたのであって、そのいくつかを紹介するならば次のごとくである。

幸霊が住まう建昌県(江西省奉新県の西)の知事が官船の建造を計画し、県民に一対のオールを作ることが命じられた。幸霊はすでに作り終えたものの、まだ手元に置いていたところ、何者かによって盗まれてしまった。

ところが突然、盗んだ男は激しい胸の痛みに襲われた。幸霊はその男を問いつめたが、男は白状しない。すると、胸の痛みは一層激しくなった。「もし正直に申さなければ、本当に死んでしまうぞ」。幸霊はそう言い、男はやっと白状した。そこで水を飲ませたところ、胸の痛みはすぐに治まった。

さてまた官船が完成し、いよいよ川にこぎ出そうと二百人がかりでロープで引っ張るが、びくとも動かない。もっと人手を増やそうと衆議一決したのだが、幸霊は言った。「これだけの人数で充分だ。ただ人員配置のバランスが悪いのだ。ひとつわしが引っ張ってみせよう」。そこでオールを握って指揮を執ったところ、たったの百人だけですいすいと流れを進んだ。

『晋書』幸霊伝にはこのほかにも、長年の難病に悩む患者に水を含ませるだけで快癒させたとか、化け物を退治したとかの話が記されているのだが、とりわけ注目したいのはむしろ次の話である。

若くして寡黙であった幸霊は、人にからかわれても怒ったことはなく、村人たちは癡(ち)と呼び、両親や兄弟たちからも癡扱いをされた。「癡」とは馬鹿者というほどの意味である。

ある時、稲田の見張りを言いつけられながら、牛が食い荒らすのにまかせて追い払おうともせず、牛が立ち去ってから荒らされた稲田を元通りにきちんと直した。かんかんに腹を立てる両親に、「天地の間に生を受けた万物はそれぞれ食物にありつきたいのです。稲を食らうことに夢中になっている牛をどうして追っ払えましょう」。

それに対し「お前が言う通りだとしても、荒らされた稲田を元通りにしたのはどうしてなのだ」と叱責されると、こう答えた。

「この稲はこの稲で本性を遂げたいと思っているのです。牛がめちゃめちゃにしたのを、私が元通りにしてやらなくてよいものでしょうか」

さらにまた注目したいのは次の話である。山林の中で傷ついた草木を見かけると必ず助け起こしてやり、路上でひっくり返った道具類を見かけると必ずきちんと直してやった。そして巡り歩く先々で士人たちをこう戒めるのであった。

「人間と万物に対する天地自然の態度は平等である。すべてそれぞれ持って生まれた本性を失わせたくはないのだ。どうして無理やり人を飼いならして奴婢とするのか。諸君がもし多大の福徳を享受して生命を全うしたいのなら、そっくり解放してやるがよい」

物同然の扱いしか受けることのなかった奴婢、さらにまた動物や植物にまで向けられる優しいまなざし。天地の間に存在するすべてのものを平等視し、それぞれの本性を遂げさせるべきだと考えた幸霊。それは現代においても充分に価値のある思想であろう。

どうやら幸霊は方術を操るだけのただの方士ではなかったようである。