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顔延之と陶淵明が共有した平等思想

2008年11月25日付 中外日報(社説)

中国の五世紀劉宋時代の顔延之(がんえんし)は「顔謝」と並称されるように、謝霊運と並んでその当時を代表する詩人として有名だが、「庭誥(ていこう)」と題した家訓をも書き残している。その中に次の一段がある。

――養蚕によって体をぬくめる衣料を生産し、農業によって腹を満たす食糧を生産するのは民の生活の基本であるが、自ら農業労働に従事するのはなかなかできぬことなので、僕役(作男)に頼るほかはない。

ただその際、彼らの希望をかなえてやり、彼らの衣食の品を調えてやり、彼らのやるべき仕事を決めてやり、楽な仕事とつらい仕事とが交互になるように案配してやり、休みを取らせて振る舞いをし、笞打ってお仕置きを加えるのは後回しにし、彼らを励まし憐れみをかけることにつとめはするが、雨露や炎天のもとに身をさらす苦労はなくさせてやるべきである。

「庭誥」にこのような発言があるのは、顔延之がいくばくかの田地を所有し、その経営を行なっていたからにほかなるまい。彼はある人物に与えた書簡の冒頭において、「季節がやって来たので、山間の田地の取り入れを行なっています」と語っているし、「庭誥」にはまた次のような一段もある。

――下々の者を統率するにはさまざまの方法があるが、誠実さを示すのが何よりであり、人々の上に立つにはさまざまのやり方があるが、利口ぶらないのが大切である。

僕妾(下働きの男女)が相手であっても、誠実さが示されるならば物事はうまく運ぶし、田畑で働いている人間に対しても、利口ぶらなければ仕事ははかどる。……耕作や取り入れの野良作業はなるほど"賤しい仕事"ではあるが、このようにやるならば間違いは起こらない。

――どんなに取るに足らぬつまらぬ物ですら庸保(雇用労働者)に万遍なく分配し、何事につけわが身に振り返って反省し、あれやこれやと他人の身の上を思いやるならば、彼らの気持をつかむことができ、人々の心は満たされるであろう。

顔延之は自ら農業労働に従事したわけではなかったにしても、また「庭誥」の言葉には上からの目線が感じられることを否定し難いけれど、「士庶の際は天隔す(士族と庶民との間は天ほどの隔たりがある)」とか、「士庶の区別は国の章(士族と庶民との区別は国家の典章)」とか、これらの言葉に示されるような厳然たる身分制度がやかましく言われた時代において、僕役や僕妾や庸保に対しての細やかな心配りが語られていることはやはり注目すべきであって、それなりに評価してよいと思うのである。

六月二十一日付の本欄「貴賤隔絶の時代の『四海は皆な兄弟』」に、陶淵明が彭沢(ほうたく)県の県知事であった時、郷里に残した息子のもとに手助けとさせるべく一人の下僕を遣わすに当たって、「此れも亦た人の子なり。善く之を遇すべし」と戒めたことを述べた。

ところで、顔延之は陶淵明とすこぶる懇意な仲であったのである。二人の付き合いは顔延之が陶淵明の地元である尋陽(江西省九江市)で地方官勤めをした時に始まり、後に始安郡の太守として今日の桂林市に赴任する際にも、その道中の尋陽において、毎日のごとくに陶淵明のもとに出かけて心ゆくまで酒を酌み交わし、別れに臨んで酒手として二万銭を留めたという。また陶淵明の死を悼む顔延之の「陶徴士の誄(しのびごと)」が『文選』に収められている。

このように親密な仲であった二人は、僕役や僕妾や庸保に対する態度においても共通するところがあったのだが、二人がなぜそのような信条を有するに至ったのかを考えてみる時、「庭誥」に次の言葉のあることに注目される。「含生の氓(たみ)、同じく一気を祖とす」。すなわち、生命ある民はすべて等しく天地万物の根源である混沌たる一気を祖として存在しているのであって、その限りにおいて平等であるというのである。

顔延之はこのように考えたのであり、そして恐らく陶淵明もこのような考えを共有したのではないだろうか。