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護衛艦派遣への憂慮

2009年2月7日付 中外日報(社説)

アフリカ・ソマリア沖海賊対策のため海上自衛隊護衛艦の海外派遣が決まった。先月二十八日の政府安全保障会議の決定を受け、四月初めには現地で活動を開始する予定で、護衛艦「さざなみ」など二隻の派遣準備を進めている。

海賊の襲撃といえば、何やら時代錯誤の印象を受けるが、国土交通省の資料によると二〇〇七年、世界全体で二百六十三件の海賊事案が発生している。二〇〇五年にはマラッカ海峡で日本籍の船が海賊の襲撃を受け、船長らが人質になった。アフリカは海賊被害の多発地帯で、ソマリア沖では昨年、日本関係船舶の被害例が三件あった。

ソマリア沖は中東産油国からの原油輸送ルートだ。同じ事情のマラッカ海峡とともに船舶の安全航行が脅かされれば影響は甚大であるだけに、EU(欧州連合)は艦隊を派遣して海賊対策の海上作戦を展開している。国連安全保障理事会も昨年六月以来、ソマリアの海賊対策のための武力行使を認める決議を採択している。

ソマリアの海賊は他地域のテロ組織のような根深い政治的、宗教的対立の背景はないという。現在、EU諸国や米、中国、露など二十ヵ国近くが軍艦を派遣、サウジアラビアやイランも派遣方針を表明しており、日本はすでに給油支援のかたちで自衛艦を派遣している。

日本の船舶が現実に海賊被害に遭っている状況で、わが国もこのような国際的な海賊対策に参加することについては、道理があるという印象を持つ人が少なくない。イラクへの自衛隊派遣の時よりは肯定的意見が多いように見受けられる。

しかし、果たしてそれでいいのだろうか。

例えば、憲法上明らかに問題が存在する護衛艦の派遣ではなく、海上警察権限を持つ海上保安庁の巡視船、特にプルトニウム運搬船護衛のため建造された「しきしま」を派遣すればよいのではないか、という主張も聞かれた。マラッカ海峡の海賊対策では実際に、海上保安庁が対応しているのである。

だが、今回は主に護衛艦派遣を前提として議論が行なわれてきた。十七年前のプルトニウム運搬船護衛問題では自衛艦派遣を避け、テロリストの攻撃にも対応できる巡視船を建造したことと比較してみても、時代は変わったといわざるを得ない。

自衛艦による海上警備行動は日本周辺海域では過去に二度の例があるとはいえ、それを目的として海外へ派遣するのはもちろん初めてだ。武器使用の許容範囲についても検討されているが、威嚇射撃以上の対応が可能になることが考えられる。

そうなるともはや、憲法第九条はすっかり骨抜きとなった、というしかないだろう。

「憲法議論はさておき」として、この種の重大な決定が幾度も「現実的な観点」(国際協調論とか、任務に堪えうる海保巡視船は一隻だけだから巡視船派遣は"現実的"ではない、といった議論も一例だろう)から下されてきた。既成事実が積み上げられる一方、憲法九条の理念ははるか彼方に置き去りにされ、それを批判する立場の人々からは、信じる人間の方が愚かだというしかない"おとぎ話"の一種のように扱われる状況だ……これとは異なる戦後日本の歩みもあったはずなのだが。

日本の核武装論を政治家が公然と語り、"田母神発言"がマスコミで正当性を強く主張する時代にわれわれはいる。平和を語ることが愚かに聞こえる社会もすぐ目の前に見えてきたのではないか、と恐れる。

宗教者にはどのような時代になっても、最後まで平和を説き続ける信念が求められるだろう。と同時に、平和を主張することが、反社会的とされるような時代の到来を防ぐ努力も大切だ。

護衛艦派遣の次の一歩は武器使用制限緩和を含む法的措置であろうが、そこから先にどこまで進むか。この国を後戻りできない場所にまで導き、憲法九条を愚かなものに変えてゆく政府の決定には憂慮の念を抱かざるを得ない。