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百五十回迎える手作りの勉強会

2009年2月24日付 中外日報(社説)

昭和五十六年から、大阪の市民文化の向上を目指して年四~六回、講演会や見学会を開いてきた「船場大阪を語る会」=会長、三島佑一・四天王寺大学名誉教授=が今月二十八日、大阪市中央区の大阪府立文化情報センター・さいかくホールでの開催で、通算百五十回を迎える。芝哲夫・大阪大学名誉教授を講師に「幕末・明治の大阪における近代科学への道」を学ぶ予定だ。だがこの市民有志手作りの"大阪文化再発見"の集いは、百五十回の節目に転機を迎えている。

商都・大阪を代表する中央区船場は、証券の北浜、薬の道修(どしょう)町、繊維の本町と丼池(どぶいけ)を中心に発展した。だが船場は、そろばん勘定で全国をリードしただけでなく、独自の町民文化を生んだ町でもあった。

江戸中期に、豪商たちが協力して設立した学塾・懐徳堂からは富永仲基、山片蟠桃ら町人学者を輩出、特に富永が、大乗仏典は釈尊の語録ではないと主張した「大乗非仏説」は、その後の仏教界に大きな影響を与えた。

大阪のこうした歴史を懐かしむ人々――高麗橋三郵便局長の藪内吉彦、『大阪春秋』誌編集の伊勢戸佐一郎(故人)、郷土史家の中村弘(同)、大阪天満宮史料室の近江晴子の各氏らを中心に昭和五十六年二月、「船場を語る会」が発足。さらに大阪全体の歴史を語る機会が増えて「船場大阪を語る会」に発展した。

三島氏は平成十二年八月の第百十五回、谷回春堂末裔の谷武治郎氏から会長を引き継いだ。道修町の薬種問屋の家に育ち、幼いころは町内に鎮座する少彦名神社の「神農さん」の祭りを最大の楽しみにした一人である。

「語る会」の講師に招くのは、大阪の事情に詳しい古老をはじめ、郷土史家、大学教授、芸能関係者ら。受講料は一般千円、学生五百円。「毎回、百人前後が集まります。船場や大阪を一つの学校と見ての同窓会のような雰囲気ですね」と三島氏。

おもなテーマを拾うと▽緒方洪庵と適塾▽大阪商人の冠婚葬祭▽大塩平八郎事件と船場商人▽上方芸能の特色▽船場文学散歩▽大阪と谷崎潤一郎の世界▽近世大阪と金比羅信仰▽歌舞伎役者の船乗り込み▽元禄船場商人を描いた西鶴▽船場のいとさん御寮人さんの古きよき時代――など。さらには大阪大好きで大阪在住のベルギー人ジョン・カメン氏(故人)が「外国人が語る大阪案内」を話したこともある。

三島氏がある会合の帰りに乗り合わせた電車の中で「語る会」への出講を頼むと、快諾した人がいる。ベルリン五輪大会二百㍍平泳ぎの金メダリスト、葉室鐵夫さん(故人)。第百二十六回の集いで、三千子夫人とともに「五輪優勝の思い出」を語ってくれた。

こうしたエピソードを織り込みながら三島氏は、百五十回を期して記念誌の編集を進め、写真を中心に、参加の常連から資料協力を求めている。

さて、こうして他の都市に類例を見ない着実な歩みを刻んだ「船場大阪を語る会」は、最近は大阪府立文化情報センターとの共催で開かれてきた。しかしこの施設は、橋下徹・大阪府知事の方針により今年度限りで廃止されるため、同センターでの開催はできなくなる。代わりの会場をどうしたらよいか、三島氏は頭を悩ませている。

民間の会場は使用料が高い。寺院の客殿は畳敷きが多く、膝の悪い高齢者向きでない。神社の参集殿は結婚式とかち合うと使用できない。さらに、百人前後収容の中型ホールは、意外に少ないという。

今と昔とでは経済環境が全く違っているが、船場のビル街を占める企業の経営者が、かつて懐徳堂を開き支えた先人のように、年四回の「語る会」に理解と協力を寄せることはできないだろうか。