ニュース画像
御影堂前階段で記念撮影を待つ小僧さんたち。2時間余りの儀式を終えてほっと一息
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

"カルト"の問題と宗門校の宗教教育

2009年3月19日付 中外日報(社説)

オウム真理教事件の時に、教祖の麻原彰晃とともに逮捕された幹部信者の多くが高学歴で、まじめな人間という印象を与えたことに複雑な思いを抱いた人は少なくないだろう。自らの生き方を自分なりに真剣に考える人間の方が"カルト"に勧誘され入信しやすい、とはかねて指摘されてきたことだ。

大学内の"カルト"対策問題にも直接かかわってきた宗教社会学者の櫻井義秀北海道大学教授は面白い分析をしている。次のような学生は「カルトに入らない」というのである。

(1)「悪事」をしたい人(2)自分のことしか考えない人(3)理想のない人(4)お金のない人(5)勇気、意気地のない人(6)威張り散らすエライ人(7)何事にも一生懸命になれない人――。

なるほど、と思わせるが、これは北海道大学で学生のガイダンスとして「カルトへの対応」をテーマに取り上げ、その中で列挙している"適性"リストである。自分はかなり当てはまるので大丈夫と自信を持つ学生もいるだろう、というのは冗談として、お金の有無以外は教育上評価される美徳(の裏返し)であるのは皮肉だ。

先ごろ、新潟で開催された全国霊感商法対策弁護士連絡会の全国集会で櫻井教授は北大の具体的な対策を例示して、大学での"カルト予防"の教育的義務を説いた。

誤解のないようにあらかじめ述べておくと、櫻井教授はキャンパス内の宗教勧誘活動そのものを否定しているわけではない。さらに、たとえそれが一般に"カルト"と見なされている宗教であっても、そのことを理由として勧誘行為に問題があると主張するわけでもない。信教の自由があり、意見を表明する自由があるのだから。

櫻井教授が学生たちに示す"カルト"勧誘の問題性は、ダミー団体(様々のサークル等)を使って"正体"を隠すなど必要な情報を開示せず、心理的な圧迫を与える説得を行なう、といったコミュニケーション・ルールの逸脱・破壊にある。また、この種の団体に多い入信後の勧誘・献金ノルマが学業に支障を与える点も学生たちに指摘する。

どの信仰を選ぶかは自己責任だという意見は確かにその通りなのだが、少なくとも、大学入学直後の若者をターゲットに、正体を隠して(多くの場合、宗教であることを隠して)近寄り、本人が自分の行なおうとしている選択の意味を自覚できない形で組織に引き込んで、容易に離脱できない状況をつくる、といったケースには自己責任論は当てはまらないだろう。

こうした不適切な活動がキャンパス内で行なわれている状況(北大の調査では四分の一から五分の一の学生がその種の勧誘を受けた経験を持つ)に対し、大学側の介入には限界があると、櫻井教授は語る。個々の学生相談の域も超える問題で、教育による予防が最も効果的だという。

ところで、宗門校の立場から見ると、櫻井教授が北大で行なっているようなガイダンスばかりでなく、建学の精神に基づく宗教教育・宗派教育も"カルト"予防には充分対応できる、と主張し得るのではないか。

もっとも、入学式で初めて自分が入った大学が仏教系だと知った、という類の笑い話もある。卒業してゆく時も、実際にその宗門・宗旨に関する知識を得て学窓を巣立つ学生がどの程度いるかを思うと、やや心もとない。

宗門の看板を掲げて大学を設置していること自体については、社会的にも一定の責任があると自覚すべきだと考える。宗門系学校在学中に"カルト"に勧誘され、霊感商法に携わるようになった、などという話はできたら聞きたくないものだ。宗門校における宗派教育・宗教教育への積極的取り組みは宗教的良識を与える面からも、もっと求められてよいだろう。