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相互尊重の対話を

2009年5月30日付 中外日報(社説)

チベットは七世紀に吐蕃が建国し、吐蕃王国時代にインドから仏教が伝播した。八世紀にチベットを統一したソンツェンガンポ王の時、インドのランツァ体の文字に基づいてチベット文字を創作した。それは仏典を翻訳するためであった。

チベットは仏教王国として栄えた。その後、主権の変遷を経て第二次大戦終結後、一九六五年(昭和四十年)に中国のチベット自治区となる。ダライ・ラマ十四世は一九五九年(昭和三十四年)のチベット動乱の時、この年の三月十日にインドへ亡命した。そして現在は西北インドのダラムサラに亡命政府がある。

さて、チベット民族はチベット仏教を核とする独自の歴史、文化、社会を形成して今日に至っている。特に約六百年にわたってチベット語に翻訳された『チベット大蔵経』、そして『蔵外聖典』などの膨大な典籍はインド仏教の極めて重要な無比の文献でもあって、まさに人類の至宝である。

チベット民族はチベット語を母国語としてチベット文字を用いてきた。中国のチベット自治区の人口二百七十四万人のうち九二・八%の二百五十四万人がチベット民族だという(二〇〇四年度の中国政府側の資料による)。

チベット民族は四川・青海・甘粛・雲南の各省にも少なからず点在している。中国東北部(旧満州)・ネパール・ブータン・西北インドのラダックやスピティその他の地域にもチベット民族は居住し、チベット文化圏を形成している。これら各地域の総数は「六百万のチベット」といわれている。

青海省は全人口五百三十九万人のうち二三%の百二十四万人がチベット民族だという中国側の資料があるが、他の諸省居住のチベット民族の人口は把握できていないようだ。

一方、全世界のチベット民族の総数については、現在亡命政府が調査進行中で今年中には調査結果が出るとのことである。亡命政府によると亡命チベット人の総数は十五万人。その内訳はインド十二万人、ネパール一万人、残りの二万人が世界各地に散在しているといわれる。

なお、チベット仏教系のモンゴル仏教は一九二一年(大正十年)のモンゴル革命で壊滅したが、第二次大戦を経て民主化された後、復興して隆盛に赴いている。また、モンゴル系の北方仏教徒はシベリア地方のブリヤート民族、エニセイ川上流域のトゥーア民族、カスピ海西岸のカルムイック民族に認められる。従ってチベット仏教に発祥する北方仏教がかくも広大なユーラシア大陸にわたって散在している事実も、われわれは見逃してはならない。

今年はチベット動乱から五十年目である。

中国政府はダライ・ラマを「分裂主義者」と見なしていることは世界周知の事実だろう。他方、ダライ・ラマは「チベットの独立を求めているのではない。高度の自治である」とし、非暴力主義の中道路線を一貫して要請している。だが、両者の対話は依然として平行線をたどっているままである。

しかし、チベット民族はチベット仏教を信仰し、独自の歴史文化を持つ民族である。中国が異民族の統合と思想統一の方針を堅持するならば、その対話はそもそも極めて難しいといわなければならない。

異民族の支配体制と同化政策のイデオロギーは、前世紀の植民地時代の思想の残滓である。だが、二十一世紀に入り、民主主義と自由主義との発展とともに世界の諸民族、諸国家が相互尊重の融和に基づく共存共栄の道が強く求められている。その道を歩まぬ限り、地球上に真の平和をもたらすことはできないことをわれわれは銘記しなければならない。

仏教徒として、わが国も中国、チベットもともに同じインド仏教の末裔だという歴史的事実も常に意識しておきたい。