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ホテルの動物になっていないか

2009年6月2日付 中外日報(社説)

世界大不況が続き、新型インフルエンザ騒ぎが伝えられるなどで、旅行関連業界は不振続きという。沈滞した雰囲気の打破を願い、旅の話題を……。

日本で最もスケールの大きい旅行記といえば、平安時代初期の承和年間、第三代天台座主・円仁のつづった、足かけ十年に及ぶ唐への旅日記『入唐求法巡礼行記』であろう。明治時代に真言宗総本山の一つ、東寺・観智院から写本が発見され、元駐日米大使E・O・ライシャワー博士が「マルコポーロの『東方見聞録』に勝るとも劣らぬ記録」と絶賛した。晩唐期近い中国の社会が生き生きと描写されている。

円仁は、天台山行きを許されず、密入国同様の手段で華北に潜入、五台山を目指す。行く先々で中国の官民や新羅の居留民に助けられ、仏教の中心地・五台山に到達するが、途中で追いはぎに襲われたり、会昌の法難に出合って還俗を命じられたりの波乱に富む十年間を、淡々たる筆致で書き残している。

一方、最も親しまれている旅行記は、松尾芭蕉による『おくのほそ道』ではなかろうか。円仁の漢文表記に対し、芭蕉は文語体の和文表記である。

『おくのほそ道』は「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」の名文句で始まる。「草の戸も住替る代ぞひなの家」の句を置き土産に元禄二年三月二十七日(西暦一六八九年五月十六日)に弟子曽良とともに江戸深川を出発、夏から秋にかけて奥羽地方中南部から北陸路を行脚、約百五十日間に二千四百㌔を踏破して同年九月六日、美濃(岐阜県)大垣で詠んだ「蛤のふた見にわかれ行く秋ぞ」で締めくくる。

その中には「五月雨の降りのこしてや光堂」「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」「荒海や佐渡に横たふ天の河」など広く知られた名句があり、読む者を飽きさせない。意外なのは、自然を詠むとされる俳句の指導者であるのに、花の句が三つしかないこと。「世の人の見つけぬ花や軒の栗」「眉掃(まゆはき)を俤にして紅粉(べに)の花」「象潟や雨に西施がねぶの花」だけである。また芭蕉自身では、名勝松島の句を全く詠んでいない。

今の旅行と違って、昔の旅は苦難の連続だった。円仁が便乗した遣唐使の船は難破寸前の姿で浙江省の岸にたどり着き、上陸すると大きな蚊とアブの群れに襲われた。芭蕉は遭難の恐れこそなかったが、山中の宿りは「蚤虱馬の尿(しと)する枕もと」だった。

それに比べ、現代の旅人は「ホテルの動物」だ、と指摘した人がある。先ごろ日本ペンクラブの招きで来日し、パネルディスカッション「旅と文学」に参加した中国側パネリストの一人、韓少功・海南省作家協会主席である。

見聞を広めるため旅に出ても、三つ星四つ星ホテルに泊まるばかりだと、その旅を通して多くの人々の職業や生活に触れることは不可能だ。商業化したホテルに囲い込まれた動物になったのでは、真の作家活動ができないのではないかという思いが、中国の作家から出始めているとか。傾聴すべき意見だ。

先日、ある新聞に特ダネ記事が出た。JR線と私鉄の連絡をスムーズにするため、便利な乗り継ぎ切符を売り出す計画がある。それによって双方の沿線にある寺社への参拝が便利になるというのだ。だが両線の乗り換え駅にはエレベーターもエスカレーターもなく、三十余段ずつ上り下りしなければならない。障害者団体からは「ワースト駅」と呼ばれている。お年寄りにも不便だ。

新しい視点で旅の記事を書こうとした記者の努力は多とするが、結果的に二つの鉄道の商魂に囲い込まれた点はなかっただろうか。駅のバリアフリー化を求める提唱と組み合わせたら、さらに意義ある特ダネとなったはずである。