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『立正安国論』奏進七五〇年を迎えて

2009年7月28日付 中外日報(社説)

文応元年(一二六〇)、日蓮聖人は時の最高権力者である鎌倉幕府前執権の北条時頼公に『立正安国論』を提出した。それから七百五十年たち、今月十六日、その記念日を迎えた。

安房に生まれ、清澄寺の徒となり、鎌倉、さらに比叡山に学んだ日蓮聖人は、静かに『法華経』の祈りに沈潜することが本来の願いであったであろう。しかし、真摯な日蓮の仏教への問いを清澄寺の僧俗は容赦しなかった。故山を追われて鎌倉に草庵を結んだ日蓮聖人であったが、日本歴史上最大の災難が連続する時代状況が、新たな地平の認識を日蓮聖人に迫ってゆく。

隣国に「元」という巨大な政権が成長しており、やがて日本もその侵寇に直面するであろう。同時に、東国の自立を現実化した鎌倉政権は、武士集団の集合体という性格から、体質的に「内乱」の危機を内包している。この時代に生きる人々は、多かれ少なかれ漠然とした危機の認識、あるいは予感を共有していたとはいえるだろう。

『法華経』は、社会的存在としての宗教的信条と行動を、常に問題の基本に置いている。僧俗を問わず、『法華経』の信奉者の歩みも、その基本理念に沿ったものであった。日蓮聖人は、そのような信仰伝統の上に、危機に生きる仏教徒の歩むべき道を大蔵経に問い、思索と体験を深めていくことになる。

『立正安国論』は、大蔵経読破によって得た末世の信仰の記録である。従って、読み方によってはあまりにも厳しい批判的言辞に彩られていると受け取られるであろう。そうした理解をした人々が多いのは事実である。

だが、筆者は日蓮の宗門以外の方から「『立正安国論』は愛情の書である」とする評を聞き、教えられるところが多かった。仏教の隆盛を思わせる状況に安住せず、現実を重視して、高められた現実の世界を見いだせ、という宗教的見地からの「愛情ある批判」を提示したのが『立正安国論』であるとの見方だ。

日展審査員の星弘道氏は『立正安国論』の直筆に接した時、その素晴らしい墨の色と、筆跡の「やわらかさ」に心打たれたという。優れた表装にも彩られた日蓮聖人の筆跡のやさしさ。これは『立正安国論』の世界の一面を暗示するかのようでもある。

思い返せば戦後六十余年、私たち日本人はいささか怪しい平等や自由のイメージに浸り過ぎていたのかもしれない。その間、社会の背後では諸々の矛盾が生み出され、成長して、それが目に見える形を取りつつあるのが現実ではないか。

目に余る社会の混乱、責任ある立場の人間による倒錯した言説の横行に、フツフツと煮えたぎるような怒りを覚える人も少なくないだろう。世界に目を向けるならば、日本の見せかけの"豊かさ"さえ、特殊な条件の下で危うい均衡を保ちながら維持されていることを認識せざるを得ない。しかも、目の前の隘路の先に何があるかは、ほとんど見えてこないのである。

そのような時代に遭遇し、日蓮聖人の諫暁の書『立正安国論』における「愛情ある批判」の意義があらためて深く感じられる。今日的な意味での「愛情ある叱責」の精神は、今こそ再び必要とされているのではないだろうか。

『立正安国論』七百五十年に際し、仏教者としての責任をさらに重く自覚する次第である。