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支局長の一首は市長への「警策」

2009年10月1日付 中外日報(社説)

白い布覆いの下から、薄緑色の石の歌碑が姿を現わした。九月十二日午前十時十五分、高知市のJR高知駅前広場の一角に、拍手の音が響いた。紅白の除幕の綱を引いた一人は、盛岡市玉山区渋民から訪れた(財)石川啄木記念館の山本玲子学芸員だった。

明治末年の歌人・石川啄木と、その父で曹洞宗僧侶だった石川一禎の合同歌碑を建てる運動については、七月十一日付の本欄で「早ければ今秋にも除幕式」とお伝えしたが、その後募金も工事も順調に進み、十二日に除幕式と記念祝賀会を開くことができた。

この場所に歌碑を建てることになったのは、啄木の死後に各地を転々とした一禎が、鉄道職員だった木の姉婿とともに高知駅に近い国鉄(当時)官舎街に住み、昭和二年、七十六歳で死去したことを追憶するためである。以前には、一時代前の高知の歌人たちが建てた「終焉の地」を示す木製標柱があったが、七年前に高知駅前再開発事業が始まるとともに撤去、倉庫にしまい込まれた。そこでこれに代わる石の歌碑づくりが始まった。

高知では、歌碑や句碑の除幕式の参列者は三十~四十人止まりという。しかしこの日は「雨が近い」との天気予報にもかかわらず、百二十人余りの短歌ファンが集まった。「さすがは啄木ですね」と感動したのは「啄木の父 石川一禎の終焉の地に歌碑を建てる会」の会長で、高知ペンクラブ会長の高橋正氏である。

高橋氏は続ける。「高知県は県民所得が最低レベルの"貧乏県"です。それに加えて、この不況。果たして資金が集まるだろうか、と心配しました。でも、目標としていた三百万円が集まった。啄木の知名度は大きいですね」

同会事務局長を務めた歌誌『海風』編集委員の梶田順子さんは「マスコミの御協力で、高知県内だけでなく、全国二十五府県から浄財を頂きました。特に岩手県からは、一禎が最後に住職を務めた宝徳寺をはじめ、常光寺、竜谷寺、大泉院など、縁故ある曹洞宗の寺院から篤志が寄せられ、勇気づけられました」と語っている。

歌碑に刻まれた歌は、一禎が「寒けれど衣かるべき方もなしかゝり小舟に旅ねせし夜は」。啄木が「よく怒る人にてありしわが父の/日ごろ怒らず/怒れと思ふ」である。

梶田さんや「建てる会」副会長で歌誌『高知歌人』編集発行人の西岡瑠璃子さんらによると「一禎の歌は放浪の旅の心細い心情を示すもの。また啄木の歌は、父を思う心のこもったものを『一握の砂』の中から選びました」とのこと。啄木の歌碑は全国に百基以上あるが「よく怒る……」碑は高知が初めてという。

「建てる会」に寄せられたのはお金だけではない。京都在住の歌人で歌誌『柴折戸』主宰の岩田晋次氏は除幕式を祝して、次の三首を寄せた。

・渋民を離れてここに縁かや啄木父子(ちちこ)の歌碑土佐に建つ

・啄木とその父のこころ足らひゐむ歌碑の除幕の今日の空澄む

・うた人の篤き心は土佐の地に刻みて啄木の歌その父のうた

「建てる会」の役員は口をそろえて、歌碑建設運動の経過を好意的に報道した高知新聞、岩手日報、朝日新聞をはじめテレビ各局などのマスコミに感謝しているが、岡﨑誠也・高知市長は除幕式の挨拶で、次のように述べた。「毎日新聞のコラムに、大澤重人支局長が『異郷の地倉庫に眠る道しるべ今なお続く放浪の旅』の一首を載せた。古い標柱をないがしろにしていた私たち駅前再開発工事関係者の怠慢を指摘されたような気がした」

この一首が、市長やJR四国への"警策"となったようだ。歌の力の強さは昔も今も変わらない。流行の言葉で言えば「短歌力」ということであろうか。