ニュース画像
落慶法要に続き、つき初めする小堀管長と見守る坂井田住職(右)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

「寺庭婦人」の使命とは何か

2009年10月3日付 中外日報(社説)

男女共同参画社会への波が、独身主義を通していた禅宗の寺院にも及んで、このところ寺庭婦人の働きが目立って活発になってきたように見える。例えば臨済宗では、寺庭婦人が宗制の上で公式に認められるようになったのは、まだつい四十年ほど前のことである。それまではひそかに「お庫裡さん」などと呼ばれて、檀家の人々に親しまれていた。

もちろん臨済宗では現在もなお、和尚に代わって葬式法事などを行なうことは認められていないし、寺庭婦人たちも、そのようなことを夢にも思っていない。女性で僧籍を持つためには、剃髪得度して尼僧となる道があるからである。

この点、開祖自ら妻帯を宣言した浄土真宗の場合と、かなりの意識の違いがあるようだ。

各宗の信仰個条や宗制によって、寺庭婦人の置かれている立場や役割が違って当たり前で、それらに是・非はない。

しかし現代日本の仏教教団の見地に立てば、小異を捨てて大同に就く立場が開かれねばならない時が来ているのではないだろうか。その意味で通仏教的な組織として、より広い範囲でお寺の女性たちの組織ができてもよいのではないだろうか。

仏教寺院に住む「女性たち」が共有する問題と、課題解決のためのパワーが結集されるということは、大乗仏教として独特の形態を持つこの国の仏教だけが有する可能性と必然性であろう。

では、当面いかなる課題が考えられるか。これまで「寺族」「寺庭婦人」の役割として考えられてきたことについて、再点検してみる必要がある。

まず第一に、住職を助けて寺門の後継者を養育するという課題である。後継者、雛僧教育は宗門にとって最も重要な使命でなければならない。今日の日本では、特別の寺院を除いて宗派を問わず住職の世襲が通例になってきているのだから、その現場における女性の役割が大であることは言うまでもない。

この傾向はさまざまな意味で、決して好ましいものではないが、現実に寺院後継者不足の今日、たとえ必要悪を承知でも、受け入れなければならない現実の課題である。その点からすれば、寺院に後継者となる子女を持つことは、宗門存続の根幹にかかわる問題である。

しかし、後継者育成の責任は本来、寺庭婦人に押し付ける問題ではない。宗門後継者は、師弟の切磋琢磨の関係において育成されるべきものであって、世襲化した寺院では寺院の"家庭"そのものが研鑽の道場として生きるものでなくてはならないだろう。

寺院は自らの手で雛僧を養い育て、これに充分な宗教的指導者となる教育を施すべきであり、その点でも、教師として法人を統括する住職に最大の責任がある。「男女共同参画」と言うなら、まさしく寺庭婦人と住職との共同作業がここにおいて要求される、といえるだろう。

寺庭婦人の第二の重要な使命とされるのは、住職を補佐することである。近年、各宗門でも寺庭婦人の役割を積極的に位置付けるため、教師に准ずる資格取得の道を開くなど、宗制の整備が進められている。その意味で、寺庭婦人の寺院における役割の主体的自覚が従来にも増して求められる状況にはある。

第三の使命は、寺庭婦人の果たすべき対社会的責務である。寺院は昔と同様、いや現代なればこそ、もっと地域社会にとっての存在意味と役割を持たねばならない。

ここにおいて寺庭婦人の役割は、時として住職以上に大きいものとなる。今や寺庭婦人は、地域社会のカウンセラーとして、特に女性や子供たちの深い尊敬と、厚い信頼を得なければならない時が来ているのかもしれない。