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摘み食い読書の陥穽

2009年10月24日付 中外日報(社説)

岩波書店のPR誌『図書』に連載の中野三敏氏の「和本教室」、その第十六回として九月号に「『刊』と『印』と『修』について(一)」と題して登載されている文章は、次のように始まっている。「江戸時代を通じての手書き写本と木版印刷物(板本)の量は恐らく五分五分と見るべく」云々。

江戸時代においても写本と板本との勢力がまだまだ拮抗していた様子がうかがえるのだが、中国の状況はどうであったのか。中国においては、わが国とは異なって、つとに宋代において写本の時代から板本の時代へのかなり劇的な変化が認められたのであった。

写本から板本へ。それは書物の普及という点で確かに画期的な出来事ではあったけれども、その半面、読書の様態に好ましからざる結果をもたらした。北宋から南宋にかけての人である葉夢得(しょうぼうとく。一○七七-一一四八)の『石林燕語』巻八に次のようにある。

――唐以前、凡そ書籍は皆な写本にして未だ模印の法(印刷術)有らず、人は蔵書を以て貴しと為す。人は多くは有せざるも、而れども蔵する者は讎対(しゅうたい。校勘)に精なれば、故に往々にして皆な善本有り。学者は伝録の艱(くる)しきを以て、故に其の誦読も亦た精詳なり。

写本時代の唐代以前においては、蔵書の量は大したことはなかったものの、そのためにかえって蔵書は貴重であり、校勘は精細であって善本が多く、読書も精細詳密であった。

ところが宋代に至って、「学者は書を得るに易ければ、其の誦読も亦た因って滅裂す」と、事情は一変したという。

葉夢得に先立って、高名の文学者、北宋の蘇東坡(一○三七-一一○一)も、「李氏山房蔵書記」と題した文章に次のように述べている。

蘇東坡の聞くところ、彼の大先輩の老儒先生の若かりし時代には、『史記』や『漢書』ですら手にするのは容易ではなかった。幸いにして手にすることができた場合には、誰しも自分で書写し、日夜誦読にふけったものであった。ところが近年はどうか。「市人(出版業者)は転(うた)た相い諸子百家の書を模刻し、日ごとに万紙を伝え、学者の書に於けるや、多く且つ致し易く」、そのために書物はろくに読まれもせず、高閣に束(つか)ねられたままのありさまであると。

南宋の大学者の朱熹(しゅき。一一三○-一二〇〇)もまた蘇東坡のこのような慨嘆の言葉を一つの引証としつつ、「昨今の人たちが読書をなおざりにするのは、印刷された書物が多くなったからである」「昨今の人たちは書写することすら面倒がって、それで読書がなおざりにされるのだ」などなどと語っている(『朱子語類』巻十「読書法」)。

かく宋人の口から、写本から板本への移行が読書に好ましからぬ結果をもたらしたことがあれこれと語られているのだが、ところで近年の日進月歩の目覚ましいコンピューター技術の発展は、読書の様態にまた新たな変化をもたらしていることは疑いがないであろう。

コンピューター技術の発展は、確かにわれわれに多大の便益をもたらしてくれた。筆者もその恩恵に浴している一人である。例えば中国の文章に相対する時、そこに使用されている言葉の意味や故事の来歴を確認するために、机上に備えたパソコンに内蔵された検索ソフトを操作すれば、即座に多くの文献から情報を収集することができるのだ。

書物の全体を読むことなしに、検索によって得られたそれらの言葉を適当につなぎ合わせて一編の論文に仕立て上げることすら不可能ではないであろう。だがそのような便益性に頼り過ぎるならば、やはり思わぬ陥穽が待ち受けていることを充分に心しておかなければなるまい。

その言葉が書物の全体の中でいかなるコンテキストのもとに使われているのか、そのことまではコンピューターは教えてくれないからだ。

そもそも書物は初めから終わりまで通して読まれるべきものであろう。そのような読書の本来の趣旨が便益性のためにないがしろにされ、つまみ食いの読書が横行するようになるならば、由々しい問題であると言わざるを得ない。