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葬祭業界との関係

2009年11月14日付 中外日報(社説)

葬儀については、最近、その現代的な意義を宗門の側から見直してゆこうという動きが目立つ。やや遅きに失した印象もなくはないが、首都圏など都市部で進んでいる事態を考えると、これはぜひとも必要である。

ところで、宗門側、というより葬儀の現場で僧侶が感じている問題点は具体的にどのようなものがあるのだろうか。最近公表された浄土宗総合研究所による「お葬式に関するアンケート調査 寺院対象編」の第一次分析報告を見てみよう(以下は同研究所の名和清隆氏による住職対象アンケートの自由回答項目分析に基づく)。

そこに現われてくるのは、過疎化や地域社会の人間関係の変化を背景に葬儀社任せの葬儀が増え、葬儀自体も会館で行なわれるケースが増加している現実のもたらす深刻な影響だ。葬儀が「葬儀社主導」になった結果として、「僧侶が付け足しのように」なり、寺離れも進むという深刻な影響が指摘されている。

こうした状況に対して、「葬儀社は手伝い程度にとどめるようにすべき」といった声や、葬儀を業者ではなく僧侶側が主導できるよう、宗門、仏教界全体で運動すべきだ、などとする意見が示されている。

だが、その一方で、残念なことに「葬儀社がいなければ、お葬式が成り立たない現状」も充分認識されているのだ。葬儀社の行なっていることの中には僧侶が学ぶべきことがある、"葬祭ディレクター"に負けないようなマナーを身に付けるべき、などの反省も述べられている。

さらに、「葬儀社と僧侶との勉強会を開くべき」とする提案が紹介されているが、実はすでにそうした方向へ向けての具体的な動きがある。

全日本仏教会機関誌『全仏』九月号に全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)の松井昭憲会長が「ご遺族のための葬祭サービスを目指して~信頼と安心される組織であるために」と題して寄稿しているのは葬祭業界との連携を示す一つの兆候だ。

全日仏は平成二十年度から賛助会員制度を導入しており、全葬連をはじめ都道府県レベルの各地の葬祭業協同組合がすでに加入している。全日仏広報文化部によれば、業界幹部との懇親会が幾度か持たれ、意見の交換も行なわれている、という。

仏教会と葬祭業界の交流・協力は、例えば京都仏教会と京都中央葬祭業協同組合の共催によって京都市内で春秋二回の焼骨灰供養法要が営まれており、各地でも他に類例は見られるだろう。全日仏、全葬連レベルの積極的な交流も当然存在してしかるべきもので、ようやく、という感もなくはない。

ただ、多少憶測をたくましくすれば、こうした動きが進む背景には、全日仏はもちろん、業界主流の全葬連などにもカバーしきれない葬儀をめぐるトレンドの変化が目立ってきた、という事情があるのではないか。

本紙十月三十一日付の「死の儀礼の変貌」で紹介された僧侶派遣業者の話などは宗門側から見れば異次元の論理だが、葬祭業界主流とは地域社会や家族の空洞化への対応など、課題として共有できる部分が今や少なくない、という状況もあるのだろう。

いずれにせよ、そこから新たな、望ましい展望が開けてくることを強く期待するものである。

ところで、再び、先に挙げた浄土宗総合研究所の寺院対象アンケートに戻ると、自由回答分析には「僧侶の問題」も列挙されていて、「お葬式や戒名に関する僧侶の説明不足」「僧侶自身が葬儀の意味を分かっていない場合がある」「僧侶のモラルの欠如した態度」など、耳に痛い指摘が並んでいる。

こうした問題は葬祭業界との対話や協力で改善される事柄ではない。宗教者としての基礎にかかわる部分である。僧侶自身の自覚が問われることになるが、伝統的な本山としての求心力を生かしてそれぞれの宗門が真剣に取り組むべき課題でもある、というべきだろう。