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『沙石集』と『高僧伝』

2009年11月26日付 中外日報(社説)

昨年の十二月に逝去された加藤周一氏の『日本文学史序説』を「再び転換期」と題された第四章まで読み進んで、鎌倉時代の大円国師無住が編んだ説話集の『沙石集(しゃせきしゅう)』に、ブラック・ユーモアと称すべき話のあることを知った。加藤氏の要約に従ってその話のあらすじを紹介するならば、

――「無智ナリケレドモ、道心アル僧」が、世を厭い、頸をくくって往生しようと思い、道場にこもるという話もある。忽ち評判になり、都の名僧が来て念仏し、京都中の道俗男女が集って、拝む。ところが当人は、その間に気が変わって死にたくなくなる。初めは勇猛だったが、「此程ハ心モユルクシテ、イソギ死ナバヤトモオボエズ」と言いだし、京都からそのために出て来た連中は、それでは満足しない。「コレホドニノノシリ披露シテ、時モ日モ定マリタル事ヲ」実行してもらわなくては困る、という。その事の成り行きに押されて、当人は「心ナラズ」も頸をくくって死ぬ。

『沙石集』の巻第四に、「近比(ちかごろ)、小原(おはら)に上人ありけり。無智なりけれども、道心の僧にて、かかる浮世に、長らへてもよしなく思ひければ」と書き始められている一段である。小原は大原と記すテキストもあって、どうやら京都北郊の大原三千院のことらしいが、それはともかく、これを読んですぐに思い浮かんだのは、中国六世紀の梁の慧皎(えこう)の撰述にかかる『高僧伝』の亡身篇であった。

『高僧伝』亡身篇には焼身を行なった数人の沙門の伝記が集められているのであり、例えば四世紀の後秦時代の法羽(ほうう)は、香油を服用した上、布で体をぐるぐる巻きにし、捨身品(しゃしんぼん)を誦え終わると、火で自分の体を焼いたという。

捨身品とは『法華経』の薬王菩薩(やくおうぼさつ)本事品のことであり、薬王菩薩は一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん)菩薩であった前世において、「我は神力を以て仏を供養すと雖も、身を以て供養するに如(し)かず」、このように念言し、焼身を行なったことが述べられている。

『高僧伝』亡身篇は、焼身を行なった数人の沙門の事跡を伝え、それぞれ個々の伝記では彼らの行為が称賛されているように見受けられる。例えば五世紀の宋の慧紹(えしょう)が焼身を行なった場所には、三日して梧桐(ごどう)が生えたという。梧桐とは青桐のことだが、鳳凰は梧桐だけにしか棲まぬといわれるように、純潔なイメージの樹木である。

とはいえ、慧皎は手放しで焼身に賛成しているわけではない。亡身篇の末尾に添えた論において、彼は次のように述べているからだ。

――凡夫の徒となると、物事を見通す力はたかが知れており、一生かけて行道につとめることが肉体と生命を棄捨することに比べてどうなのかがまったく分かってはいない。

それにもかかわらず焼身を行なう者がいるのは、「一時の世の中に名誉を求めようと思い、あるいは万代に名声を流そうと思うからだ」。だがところが、と慧皎は言う。

――だがところが、いざ火に臨み薪に身を任そうとするその時になって、後悔と恐怖の念にこもごも襲われるのだが、宣伝が広く行なわれているので、節義が台無しになってしまうことを恥ずかしく思い、それで無理をして実行に踏み切り、計り知れぬ苦しみをむざむざと味わうのである。

慧皎がこのように述べているのは、「心ナラズモ」頸をくくって命果てたと『沙石集』が伝えている上人の話とよく似てはいないだろうか。『高僧伝』亡身篇の論が一般論として述べられているのに対して、『沙石集』の話はリアルであり、リアルであるだけに一層残酷ではあるけれども、無住の読書の中に『高僧伝』があったのではあるまいか。そして亡身篇に添えられた論の文章を知っていたのではあるまいか。そのような想像をめぐらしてみたくなるのだが、どうであろうか。