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宗学の後継者育成に具体的支援策が必要

2010年1月14日付 中外日報(社説)

国の行政刷新会議による「事業仕分け」については評価はさまざまだが、国家財政を根本的に見直すのは当然としても、その余波がわが身に降りかかってくるとなれば大変な災難である。

大学など研究機関は国からの補助金に頼る部分が大きいだけに影響は深刻で、若手研究者の待遇にかかわる部分ではさまざまな学会から予算削減の影響を憂う意見書が発表されている。

半世紀ほど前になろうか、毎日新聞に「学者の森」という連載があった。その最初の書き出しは、世界的レベルで活動が期待された若手数学者が、四畳半ほどの狭い部屋でガス管をくわえて自殺したという光景から始まる。

自死した若手研究者は職がなく、将来に絶望して命を絶ったのであろう。今をときめく数学だが、戦後の貧乏社会では「数学者で生活ができるのか?」というのが、共通した感覚だったのではなかろうか。理数系だけでなく、文科系の教員も負けず劣らず貧乏のさなかにあった。

その一方で、サイデンステッカー、ドナルド・キーンといった、戦時中に交戦国日本の言葉を学んで精通した人たちが日本文学に関心を深めて、折しも耐乏生活を続けていた谷崎潤一郎や川端康成などの文豪と親しく交わることによって独自の研究を深め、『源氏物語』などの古典や三島由紀夫らの新進気鋭の作品を英訳して、それによって日本文学が世界的視野で認められていったという事実は、なんとも皮肉なものであった。

キーン氏の世話で後には人間国宝にもなっている能楽師・狂言師らが、米国の各地の大学で能・狂言を上演し、日本の伝統芸能への理解を普及させたとも聞く。その延長線上に、それらの人々の今日の幅広い活動があるようだ。

ところで、第二次大戦後の日本国内では伝統仏教への無関心というか、無視の状態には恐るべきものがあった。米国占領下における日本社会の意識の紛れもない反映だったと見るべきだろう。

仏教講義のために中村元博士が米国に招かれたのはそのような時代だった。インド仏教への関心が高まっていた当時、自らの研究成果を世界に問われたのである。米国の研究者、学生らの熱烈な歓迎の様子を、中村博士ご自身から熱のこもった言葉で聴いた記憶がある。

伝統仏教諸宗派に対しても、やがてそれなりの再認識がもたらされるようになったのは、こうしたある意味での"外"からの刺激もあったからではないだろうか。

もとより、戦災で都市寺院は大きな被害を受け、その後の農地解放によって地方寺院は経済的に壊滅状態を呈していた。そのような状態であったから、宗門人にもじっくりと仏教を勉強する"余裕"はなかったといってよいであろう。各宗派のよって立つ「宗学」「宗義学」などは、今顧みればほとんど無視されていたのが実情だった。

現在では、国内は言うまでもなく海外にも日本仏教の研究者が少なからず存在する。秀でた女性研究者の活動も活発である。彼らの研究報告に刺激されることもまれではない。

しかし、そもそも教理研鑽なくして、宗門と寺院の将来はない。たとえ仏教学研究が栄えても、信仰の世界や各宗派固有の教学の基本が忘れ去られては宗門にとって本末転倒というべきであろう。

国の文化政策はともあれ、仏教各宗団においては、己の存在の基本である教理研鑽と、その周辺の研究を永続させることができる体制を固めるため、予算の切り捨てではない逆方向の事業仕分け的発想も必要だと思われる。若手研究者育成の具体的支援策にも意識的に取り組むべき時期に来ているのではないだろうか。