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タブーを破った車中の女子高生

2010年4月20日付 中外日報(社説)

がら空きの電車で本を読んでいると、人の気配がした。大阪市在住の澤田省三さんが目を上げたら、女子高生が笑っていた。「私を覚えている? 二年間おせわになったサツキ(仮名)です」。思い出した。大阪府A市の教育センターが運営する「適応指導教室」で学んだ生徒だ。高校では友達もでき、楽しく学んでいるらしい。

サツキの方から名乗りを上げて挨拶したことに、澤田さんは大変驚いた。なぜ驚いたかは、おいおい説明することにしよう。

A市などで、小学校長や指導主事を歴任、平成十六年に退職した澤田さんは、今年三月までA市の「適応指導教室」で支援員=嘱託教師=を務めてきた。サツキは、その教室で学んだ一人だった。

「適応指導教室」の存在は、まだ広く知られていない。いわゆる不登校児のために平成四年、文部省(現在の文部科学省)の通知文によって、多くの市町村教委が設けたもう一つの学校である。

なぜ不登校になるのか。いじめを含む人間関係をはじめ、家庭の事情、発達障害など、さまざまな理由で教室になじめなくなった児童・生徒たち。全国で約十三万人という数字が年々、横ばい状態である。その大部分は中学生だ。A市では男女合わせて一校平均十人前後という。

A市には、緑地の中に野外教育センターがある。その施設を使い、十余年前から「適応指導教室」が開設された。澤田さんは「仮の教室」とも呼ぶ。

午前中は授業だ。澤田さんら教職経験のある「支援員」が学科を教える。給食はなくて、各自弁当持参。午後はフリータイムで、大学生の「フレンド」が遊び相手や話し相手となり、心をほぐす。その経過を「相談員」と呼ぶカウンセラーが観察し、助言する。

生徒たちは最初、この教室に来たり来なかったり状態だが、ペースに乗ると休まず"通学"するようになる。驚くほど学力の伸びる子もいる。

先日の読売歌壇・小池光選に「一日中ものをしゃべらぬ生徒おり 独り暮らしの老人のごと=小菅暢子」があった。歌の作者は東京都在住だが、A市の教室の里美(仮名)が、まさにこの歌の通りだった。

中一の三学期に教室に現われた里美は、なれると雨の日もぬれながら自転車で通って来たが、三年生を終えるまで、澤田さんは一度も里美の声を聞かずじまいだった。「フレンド」の女子大生の話し掛けに、表情は和らぐものの、答えはない。国語も数学も英語も、普通の学級ならトップクラス。文学、論説文など、高度の文章が読み切れるようになったというのに。

さて、澤田さんがこの教室を「仮の教室」と呼ぶように、本来この教室はあくまでも臨時の存在だ。現実には中学卒業までの日々をここで過ごす者が大部分だが、不登校を克服したら、直ちに元の学級に復帰すべきなのである。

高校で「私は『適応指導教室』出身です」と名乗る者はいないし、また名乗ってはいけない。「この教室は、なるべく早く消えるべきであって『ますます充実発展』してはいけないのです」と澤田さん。生徒はこの教室で学んだ経歴を忘れ去るべきだし、後日、師弟が路上で出会っても挨拶はしない。それが暗黙の了解となっている。

ところが電車で出会ったサツキは、タブーを無視して自分から話し掛け、高校生活について詳しく報告した。これが、澤田さんが驚いた理由である。

澤田さんはこのほど、六年間の支援員生活を『思春期不登校』と題した詩文集にまとめた。巻頭には、要旨次のような詩がある。

「神は私と共にいて/神は私の中にある/私の中に私が委ねられる者の存在を実感できたとき/生徒たちと結びあえる方途が見いだせるのではないか」