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特捜検事暴走に「大逆事件」思う

2010年9月30日付 中外日報(社説)

公権力をかさに着て弱い立場の個人を無実の罪に陥れる人間集団の姿は実に醜悪だ。明治末の「大逆事件」がそうだったが、先日、証拠隠滅容疑で大阪地検特捜部の主任検事逮捕に至った郵便不正事件の捜査は、その悪夢を想起させた。政府内でも検察糾弾の動きが急なようだが、政治の介入を待つまでもなく、民主主義の土台を危うくする司法の闇に厳しい目を向け続けねばならないと思う。

事件の内容は報道競争の最中なので重複を避け、別の視点で考えてみたい。

冒頭で百年前の「大逆事件」になぞらえたのは証拠を積み上げる捜査の常道を無視、逆に当初の狙いに沿う証拠が強引につくられた点にある。不可解な主任検事の証拠改ざんも、その脈絡でうなずけるものだ。冤罪が晴れた厚生労働省元局長の村木厚子氏が「これでは(検察は)何でもできてしまう。非常に恐ろしい」と語っていた通りである。

「大逆事件」は、明治天皇暗殺計画を口実に検察が思想弾圧を狙って社会主義者らを大量検挙し、十二人が処刑された。仏教界からも三人の僧侶が連座、一人が刑死、無期懲役の二人も獄中死した。自己の信条に基づき日露戦争に「非戦」を唱えたり、差別と貧困に苦しむ人々の救済活動に目をつけられたとされる。

戦後、僧侶三人はじめほとんどの人々の罪がでっち上げと分かった。時代の流れを変えたむごい権力犯罪に巻き込まれた人々の遺族と周辺では、その後遺症が今も消えないと聞く。付言すれば、仏教各派から追放されたそれぞれの僧侶の「復権」は平成に入ってから。「遅すぎた」という声が根強く残っている。

郵便不正事件に戻ると、障害者団体の郵便割引制度を悪用した偽証明書の作成に関与したとして訴追された村木氏の無罪判決、地検の控訴断念まで一年三ヵ月余。その間、氏は約五ヵ月間拘置所に拘束された。

この事件での検察の醜悪さは公判進行につれて強まった。報道によると検察は、偽証明書を作成した村木氏の元部下が捜査段階で「氏からの指示」と認めたとする供述調書をほぼ唯一の支えにした。だが元部下はその調書を「検察官の作文ででっち上げ」と証言。自分の再逮捕をちらつかされ「耐えきれなくなって認めた」「悔しかった」と涙ながらに訴えたそうだ。密室での検事の陰湿な取り調べを充分にうかがわせた。

他の事件関係者も「検事の意に沿わない供述をしたら怒鳴られ、調書をとってくれなかった」と口をそろえた。最高裁が公文書とする捜査当局の取り調べメモを、公判に出廷した検察官六人全員が「捨てた」と述べたのも極めて不自然だった。検察の筋書きは根本から崩れていたが、この六月、氏に懲役一年六月を求刑した。百年前の事件に通じる構図である。

検察暴走の究明はこれからだが、一定の推測はできる。一部の報道では与党の有力政治家の関与が疑われるとしてメディア関係筋から情報を持ち込まれた東京地検が手を付けなかったため、代わりに大阪地検が捜査を買って出たという。真偽は不明だが、検察内部の功名争いが要因の一つとみる識者の意見もある。そういえば「大逆事件」捜査の中心にいた人物は、その後検事総長を経て首相にまでなった。戦後A級戦犯で終身刑を言い渡されている。

特捜検事OBの中には今回の証拠改ざんを「起こるべくして起こった事件」と語る人もいる。大阪地検に限らず、近年の特捜検察の捜査手法に懸念を感じていたという。

「大逆事件」では、当時の新聞報道が結果として検察の冤罪づくりに手を貸したと歴史家は指摘する。仏教界に関して言うと、時代の圧力に屈し僧侶の処分を急いだことへの反省を今も一部で聞く。

郵便不正事件は、歴史に埋もれた苦い記憶まで思い起こさせる。