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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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そらみつ大和の社寺の四季詠む

2010年10月5日付 中外日報(社説)

平城遷都1300年祭のイベントで盛り上がる奈良市。賑わう市街や奈良公園を見下ろす高畑町在住の主婦がこのほど、奈良の社寺の四季を詠んだ歌集『飛火野』を出版した。短歌結社「ヤママユ」所属の上田倫子さん。自宅付近はかつて春日大社の社家町だっただけに、心安らぐ町並みである。宗教都市奈良の雰囲気の中から生まれた作品の一部は――。

・痛きまで冷たき狭井(さゐ)の若水を汲むひと誰も言葉交はさず

大神(おおみわ)神社の摂社、狭井神社にわく水をくんで、奈良盆地の一年が始まる。

・「福は内鬼も内」とぞ高らかに元興神(がごぜ)棲む寺豆撒かれたる

元興神とは奈良町・元興寺に住む鬼のこと。「鬼も内」の特異な掛け声で、立春を迎える。

・急がねば急がねばとぞ鈴(れい)を振り走りの僧の沓音高し

天上界の一日は地上の四百年に当たるという。出仕の僧は素早く動かねばならない。東大寺のお水取りの中から「走りの行法」と呼ぶこの一瞬を切り取ることができるのも、地元に住んでいればこそ。

・春疾風(はやち)飛天の衣ひるがへり僧の説法きれぎれに飛ぶ

薬師寺の花会式のころは時に強い春風が吹く。「天を指し蘭陵王舞ふ青年の衣文(えもん)にのぞく白き襟あし」の一首も。

・善財童子五十五体の笑みたまふ尼寺(にんじ)の昼を白猫眠る

春たける尼門跡・法華寺の縁先では、白猫が眠る。俗界の音もここまでは届かぬ静かな春昼である。

・牛蛙の声が読経に混じりをり鑑真の墓所雨しづくして

鑑真和上が開いた唐招提寺で芭蕉は「若葉して御目の雫拭はばや」と詠んだ。開山御影堂が開扉されるのは、それより季節が進んだ六月初めである。

・十代目の家刀自(いえとうじ)なるわれを待つ盂蘭盆の墓所影ひとつなき

上田家は元禄以来十代続く奈良の名家の一つ。祖先代々の眠る墓所を八月の太陽が照らす。

・息荒き牡鹿の角を捕へむと勢子(せこ)の十字は直線に飛ぶ

秋の呼び物は、鹿の角切りだ。「十字」という捕捉道具が飛んで、大鹿が捕らえられると、観光客からどよめきが起こる。

・錫杖をつたふ時雨に奈良坂の石の仏の御手冷たきよ

音もなく北の奈良坂を越えて来た雲から、冷たい時雨が奈良盆地を濡らす。野も山も紅葉して、秋のよそおいの美しさ。

・冬の朝明るき杜を出勤の巫女の朱袴せはしく過ぎる

高畑町は志賀直哉の旧居跡もある静かな町。上田さんは犬を連れて林の中を散歩する。その道は、春日大社に奉仕する巫女の通勤コースでもある。

・小雪舞ふ冬の底なる奈良盆地 阿修羅の素足小さかりけり

今は亡き女優、夏目雅子さんそっくりだという人もある興福寺の阿修羅像は、各地での公開を経て、ファンが激増した。多くの人が上半身を見る中で、上田さんは足元に注目する。

・怒髪なす金剛力士の呼びたまふ天の忿(いか)りか霰たばしる

東大寺諸堂の中で最も歴史が古いといわれる法華堂(三月堂)に立つ金剛力士像。忿怒の表情は、寒さ厳しい冬にふさわしい。

・見はるかす山並みややに陰り帯び飛火野に聴く入相の鐘

「そらみつ大和」の旧家に嫁いで三十七年、上田さんは夕べに聴く入相の鐘に心慰められることが多い。長く余韻を響かせるのは、興福寺の鐘か。

奈良を訪れる人々が、上田さんの詩情と共に社寺の文化財に接すれば、その印象はさらに深いものとなるだろう。

◇そらみつ=大和の枕詞